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アメリカ製紙業界を変えた男 1993-10-25(第602号)

【グッドイヤー・タイヤ社】

紙パルプ会社の買収やグリーンメイルで多額の利益を得たゴールトスミスは、翌年の1986年には矛先をアメリカ最大のタイヤ・メーカーであるグッドイヤー・タイヤ社に向けた。同社の年商は100億ドルを越え、主力製品である自動車のタイヤをデトロイトのビッグ・スリーに納めていたが、同年10月、ゴールドスミスは5億3千万ドルを投じてグッドイヤー社の株を11.5%まで集めていた。その後も引き続き買い増しして、遂に「グ社を50億ドルをかけて買収する」と発表した。しかも、買収したあとはタイヤ事業のみに専念させ、それ以外のビジネスは売却する方針であることも明らかにした。

しかし、この場合も結局は買収するに至らず、のちに持株をグッドイヤーに高値で買い戻させるという、いわゆるグリーンメイル方式を取っている。そして、この時には9,300万ドルの利益をあげた。この間の事情は、クライスラー社のアイアコッカ元会長の書いた「トーキング・ストレイト」という本に詳しく描かれている。それによると、グッドイヤー社のマーサー社長(当時)が40年間働いて得た所得を、ゴールドスミスは僅か2カ月で稼いだという。そして、グッドイヤー社は、買収を防ぐために多くの優良資産を売却してしまった。グッドイヤー社の本社があるオハイオ州アクロンでは、住民がゴールドスミスのやり方に反対するデモを行って、マスコミの注目を集めた。

ゴールドスミスのこのような「企業を対象としたマネー・ゲームで多額の利益をあげる行為」に対しては各方面から批判の声が高まり、彼に冠した表現にはエコノミック・テロリストとか、海賊資本家、企業侵略屋、財産剥ぎ取り屋などといったさまざまなものが現われた。

ゴールドスミスの先を読む能力には人並みはずれたものがある、といわれている。グッドイヤーで巨額の利益を確保した彼は、その後、暫くの間沈黙を保つ。そして、1987年10月のブラック・マンデーを迎えたわけであるが、その時には彼はアメリカに持つめぼしい資産の大部分を売却してしまっていた。

【ブリティッシュアメリカンタバコ】

ブラック・マンデーのあとは、さすがにゴールドスミスにもチャンスは巡ってこなかった。1989年になると、彼は「アメリカでの仕事は終わった」と豪語してイギリスに帰った。92年末にはECが統合するということが具体化してきたため、ヨーロッパの方がビジネス・チャンスが多くなると見たからである。

イギリスに帰ると、早速行動を開始する。ターゲットは、やはり紙パルプと関係の深いBAT社(ブリテッシュ・アメリカン・タバコ)社であった。同年7月12日、彼は「BATを131億ポンド(当時の為替レートは1ポンドが約230円であったので約3兆円)で買収する」と発表し、ロンドンのみならず世界の経済界を驚かせた。

BATは、売上高で見る限りイギリスでも5指に入る大企業であった。131億ポンドという規模も、ヨーロッパでそれまでになされた最大の買収劇の4倍にも達する。ゴールドスミスによるBATの株式公開買付けは、正式には同年8月8日にロンドン証券取引所に届け出がなされたが、その骨子は次のようなものであった。

※BATの株をゴールドスミスら3人のグループで設立した「ホイレイク投資会社」(本社・バーミューダ)の保証債などと交換する。

※具体的にはBATの株100株に対して425ポンドのホイレイク社の保証債及び265ポンドのホイレイク社の劣後債(以上で合計860ポンドとなる)と交換する。

※期限は(89年)10月30日とする。

ホイレイク社のオーナーは、ゴールドスミスのほかは例によってJ・ロスチャイルドであり、もう1人はオーストラリアのメディア王と呼ばれるK・パッカーであった。BATの株価は89年の前年は7ポンドを切っていたが、ゴールドスミスのこの意図が知れわたると、たちまち9ポンドにはね上がった。しかし、いざフタを開けて見ると、ゴールドスミスの買収プランにはキャッシュが伴わないことから失望感が出て、公開買付け発表当日は8.40ポンドで引けた。

BAT買収計画を発表したゴールドスミスは、次のように述べている。「BATは過去10年間に70億ポンドもの多額の金をつぎ込んで、企業を買収しながら多角化を進めてきた。しかし、これだけの資金を投下しても、利益の伸びは小さく、株主の期待を裏切っている。BATはこの際、多角化をやめて本業であるタバコ事業にのみ専念すべきである」と。そして、自分たちがBATを買収したらタバコ以外の事業はすべて売却するつもりであることもつけ加えた。

これに対し、BATのシーニー会長は「彼らはJBOという秩序破壊的な資金調達方法をヨーロッパに持ち込み、企業の分解を図ろうとしている。この買収構想は誤った考えに基づくものであり、必ずや失敗に終わるであろう」と語っている。BATは前年の1988年に売上高176億ポンド(4兆500億円)、純益9億6,000万ポンド(2,210億円)を計上していた。業種は大きく分けて(1)タバコ、(2)紙パルプ、(3)小売事業、(4)金融・保険、という4業種を持っていた。

タバコの銘柄ではベンソン&ヘッジ、ケント、クール、ジョンプレーヤー、ラッキーストライク、ポルモールなどで、世界のタバコのシェアの20%を占める。紙パルプではイギリスのウィギンス・ティーブ社、アメリカのアプルトン・ペーパー社がBATの100%子会社で、ともにノーカーボン紙や感熱紙の大手メーカーである。売上高でウィギンス・ティープ社が1988年で4億2千万ポンド(960億円)、アプルトン・ペーパー社が7億8千万ドル(1,091億円)で、両者を合わせた売上高がBAT全売上高に占める割合は約10%であった。

(3)の小売事業は、ニューヨーク五番街にある高級デパート「サックス・フィフス・アベニュー」や、シカゴに本拠地を持つマーシャル・フィールドというデパートを傘下に持っている。

BAT社では何回も取締役会を開いて対策を検討した結果、次のような構想をまとめ上げて89年10月19日に開催した臨時株主総会に議案として提出した。すなわち、(1)紙パルプ部門であるウィギンス・ティープとアップルトン・ペーパー、及びイギリスにある小売事業部門はBATから分離・独立させる。

(2)1989年の配当額を50%引き上げる。

(3)BAT社は自己株式の保有率を発行済株式の10%(1億5千万株)まで引き上げる。

(4)アメリカの小売業部門、すなわちサックスとマーシャル・フィールドは売却する(日本の東武百貨店がサックスを買収する、という噂が流れたのはこの時である)という内容であった。

(1)の紙パ部門の分離・独立については、両社をワンセットにした会社として発足させ、その株式を既存のBATの株主に無償交付する、というものであった。無償交付はBATの総資産に占めるウィギンス・ティープとアップルトンの資産比率を算出してなされる。そしてこの新会社の株式はロンドン証券取引所において売買ができるように上場されることになっていた。

50%の増配は株主に報いるものであり、同時に株価上昇を狙ってゴールドスミスらの買収を困難にしようとするものであった。また自己株式の取得は、それによって市場に出回っている株式を減らし、これまた株価を上昇させる狙いであった。

しかし、ゴールドスミス側は、これらの工作を進めるに当たって一つの問題を抱えていた。それは、BATが持つアメリカの保険会社フォーマーズ・グループの処遇にかかわるものであった。この保険会社は、アメリカのカリフォルニア州西部を地盤とする大手保険会社だが、前年の88年にBATが買収したばかりであった。

しかし、アメリカの多くの州では、保険会社を買収する場合には、州当局の認可を必要としていた。BATがファーマーズ・グループを買収する際にしても、各州の認可を得るのに半年以上もかかった。ファーマーズ・グループのオーナーが再び変わるとなると、各州の認可を取得するのにまた相当の時間がかかる。しかもゴールドスミスの場合はBATとは性格が異なり投機的な要素が濃厚で、保険会社がそのような形で売買されることに州当局は難色を示すに違いない。ファーマーズ・グループは、カリフォルニア州を含めて全部で9つの州で営業していたから、認可の申請はこれら9つの州に対してしなければならなかった。

ゴールドスミスは、このような規制は憲法違反であるとしてアメリカの連邦販売所に訴訟を起こすと同時に、ファーマーズ・グループの売先としてフランスの大手保険会社と話をつけ、ゴールドスミスがファーマーズ・グループを買収したあとは、直ちにそのフランスの保険会社に転売することを明らかにした。

しかし、この工作は成功しなかった。この間、先に出されたBAT株公開買付けの有効期間が過ぎていくが、BATは証券取引所の許可をとって期限を延長する。その一方で、保険会社を買収することの難しさが日増しに明らかになった。ここに至って、ゴールドスミスも90年4月末、ついにBAT買収を断念すると発表して、この問題はBAT側の勝利、ゴールドスミス側の敗北という形で決着することとなった。

しかし、ウィギンス・ティープとアップルトンが合体して独立の会社になることは、先の株主総会で決議されたことであるから、予定通り実行に移された。具体的には、BATの子会社であったウィギンス・ティ—プ社(イギリス法人)とアップルトン社(アメリカ法人)を一緒にし、新たにWTAというイギリス法人を設立した。新会社であるWTAの株式の交付は「BATの全ての株主に対し、BAT株3につきWTA株1を無償で交付する」というものであった。WTAの新株は90年5月17日にロンドン市場に上場された。そして当日の株価には210ペンスという値がついた。

【むすび】

上述のアイアコッカ氏の著書「トーキング・ストレイト」において、アイアコッカはゴールドスミスらの買収工作を痛烈に批判している。このような行為は、アメリカにおける企業社会の秩序を乱す破壊行為であるとしている。ゴールドスミスが仮に買収に成功していたとしても、会社は買収防止のために多額の負債を抱え込むことになり、企業は弱体化する。買収の標的にされた会社は資産の売却などによって対抗しようとするからである。

しかも、買収されたあとの新会社は、多額の負債を抱え込む。買収を未然に防ぐには、株価を常に高い水準に保たなければならないわけだが、そのために、経営者は長期的な視点に立った経営よりも、毎期毎期の利益のことを念頭において短期的な戦略をとろうとするようになる。このようなあり方は、決して健全とはいえない、というわけである。

これに対してゴールドスミスらは次のように言って対抗する。すなわち「企業の株価が低いということは資産が正当に評価されていないということであり、これは株主に対して会社が十分に報いていない、ということである。私は、これらの会社の株価を上げることによって多数の一般株主の期待に応えてきた。事業所を切り売りする場合も、良い事業所はすぐに売れ、その後も好成績をあげているが、効率の悪い事業所は売れないので閉鎖せざるを得ない。つまり、私は企業社会の浄化に貢献しているのである」と。

彼がイギリス人であるせいか、イギリスのメディアはアメリカとはまた異なった表現で彼を描写する。アメリカのメディアは概して彼に対して批判的だが、イギリスのエコノミスト誌は、彼のことを「テイクオーバー・アーチスト」(芸術的乗っ取り屋)とか「コーポレートバロン」(企業男爵)と呼び、むしろ好感を持った見方をしている。

余談になるが、1987年のアメリカ映画に「ウォール街」というのがあった。この映画はオリバー・ストーンが監督し、1980年代における企業のM&A活動を描いたものである。主人公のゴードン・ゲッコー(マイケル・ダグラスが扮し、彼はこの映画でアカデミー主演男優賞をとった)は、ディビット・マードックかアーウィン・ジェイコブスがモデルといわれている。

この映画の中でサー・ローレンス・ワィルドマン(テレンス・スタンブが扮している)という名で登場する人物は、明らかにゴールドスミスをモデルにしたもので、「テルダー製紙」という名の製紙会社を買収する場面が出てくる。原作はケネス・リッパーで、日本でも芝山幹夫訳で文芸春秋社が「ウォール街」というタイトルで文庫本として出版している。

[後記]

M&Aの創始者、ジェームス・ゴールドスミスは1997年7月18日、スペインのコスタ・デル・ソル(太陽海岸)で膵臓ガンのため死去。享年64才。最初の妻マリア・イサベル・パティーニョが脳内出血で昏睡状態のとき、帝王切開で奇跡的に救出された最初の子、イサベルは巨額の遺産を受け継ぎ、美術蒐集家として著名。