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「モスクワ事情あれこれ」(その2) 1993-02-20(第578号)

▽荒廃する街、商品の少ない百貨店
『前から聞かされていたのはモスクワは綺麗な街とのことであったが、いま見ているのがその美しいモスクワかと思わせるほどの変貌である。由緒ある建物などは手入れが行われていないため、建物としての生気が感じられない。ボリショイ劇場は埃だらけで、窓が壊れていたり、赤の広場にあるクレムリン宮殿、レーニン廟、数カ所の寺院、それに伴っての塔が数個、博物館等があるが、これらの建物には補修、メンテナンスが行われていないのか、どれも建物本来の持つ輝きが感じられない。クレムリンは、その建物以外は公園になっていて、レーニンによる解放後、誰でも自由に立ち入ることができたそうだ。

一般的に、クレムリン宮殿前の広場を「赤の広場」と言い、かつては軍事パレードで内外の人々を威嚇した場所だが、写真やテレビなどの映像で、かなり広い場所かと想像していたが、研修団が訪れた折りは何かパレード用の観客席を設置している最中で、狭く感じるのは仕方ないとは言え、これがあの有名な赤の広場とは感じさせないくらい狭い場所であった。日本流にいうと、約20,900坪程度とのことであった。

赤の広場の前は国営グム百貨店である。建物の長さはほぼ広場と等しいくらいの長さであり、6〜7階のビルである。グム百貨店の中に入って見たが、日本の百貨店とは比較にならないほど汚く、暗くて、商品がない。区画は、店(みせ)単位になっているようで、第2次大戦後の新宿の闇市場がそのままビルの中に入って立体化したものと想像すればよい。1階は真ん中に通路があって、その両側に小さく区画された店が並んでいる。2階以上は通路が2本になっていて、その間を渡り橋で何カ所も結んでいる。このようなブロックが何列も並んでいるものと思えばよい。

これらの店では、ルーブル以外一切通用しない。聞いてみると、ドルは銀行で交換して来いとのことで、外国通貨しか持っていない者にとっては取り付くしまがない。たまたま、その中で人だかりがしている所をのぞいたら、ドーナツかピロシキかよく分からないが、それと一緒にペプシコーラを売っている。価格も分からないが、とにかく凄い人である。ミセス・リューダに食料品売場を見せて欲しいと言ったが、どうも無いらしい。ほかに売られている主な物は、繊維製品に雑貨類、その他こまごました物で、資本主義国ではとても百貨店とはいえない店の集合体が国営グム百貨店なのである。

▽モスクワ・コマーシャルクラプ

モスクワの街をぐるぐる歩き回って、食事ということになった。運転手と通訳がいろいろ探しまわって、漸く予約してある場所を見つけた。高い塀の一部が小さい扉になっていて、インターホンで内部と連絡しなければならない。門標を見ると、「モスクワ・コマーシャルクラブ」と出ている。連絡をとると、中から扉が開き、マネージャーらしいのが一人ひとり確認しながら招き入れる。どうみても、表からはこれがレストランとは考えられない。しかも、付近には商店など全くない地域である。まるで刑務所の中に入れられるような感じであった。

ところが、部屋に通されてみると、飲み物はヨーロッパのビールからワインに至るまで各種の物がある、また料理はキングサーモンの前菜に始まって、ボルシチ、キャビア、そしてメインディッシュは車海老の串焼きで、まるでモスクワの食料危機が信じられないほどの豪華な食事である。私たち以外に出入りしていた人たちから韓国語、中国語等が聞こえて来る。こんな人たちも来ているのかと思った。参考のために、あとで添乗員にどの程度の価格かとたずねたら、一人当たり約5,600円とのこと。みな満足した次第である。

このモスクワ・コマーシャルクラブに入る前に、ミセス・リューダに食事はどうするのかと聞いたところ、ロシアでは通訳と車の運転手はお客と食事を共にするのが通例になっているとのことだったので、食事を共にし、その後の感想を聞いてみると、「ここ何年も、このように美味しい食事をしたことがない。皆が残している分を、主人や子供に持って帰りたいくらいだ」と話した。おカネさえあれば、どんな物でも入手できるということが実体験できた。

しかし、このレストランを出るときに、何となくうさん臭いことに気付いた。別棟の屋根の上に、大きな通信用のアンテナと、衛星放送受信用か何か分からないが、大きなパラボラアンテナが設置されているではないか。その上、レストランには地下室がある。かつては要人用の設備であったのではなかろうか。そうでなければ、あんな高い塀と厳めしい門構え、それに奥行きがどの位あるか見えなかったものの、表から気づかれないように、奥の建物の屋根にアンテナ類を設置する必要はないはずである。それに、何としてもレストランにアンテナ類は不似合いである。

▽ガソリン・スタンドがない
赤の広場界隈に集まる車類はまあそこそこの車が駐車しているものの、トラックについては新しい車は殆ど見掛けず、みな古物ばかり。それらの車は掃除も補修もほとんど行われていないと見えて、埃だらけ、傷だらけである。

車のナンバープレートから、国営関係とそうでない車が一目で分かる様になっている。国営関係の車は最初が数字、最後にアルファベットの記号がある。個人所有の車は最初にアルファベットの記号があり、その後が数字になっている。走行中の車を見た限りでは、国営が90%、個人用が10%程度のようであった。道路は凸凹だらけで、補修や掃除が行われていないのか、町全体が埃っぽい状態。町の中にはガソリン・スタンドが殆んど見当たらないが、行動中に1軒ガソリン・スタンドを見掛けた。そこはガソリンを買いに来た人たちで長蛇の列で、西側の者にとっては、これがガソリン・スタンドかと思うような所である。かつてソ連は世界第2位の石油産出国であった。いまや、それが石油不足で困窮している。ロシアで車に乗っているということは、一種のステータスに違いないと感じた。

次に、ヤミ市場と言うべきか、自由市場と言うべきか、一部の指定された所には凄い人数の人たちで埋まっている。集まった人たちは自分の抱えている物を特に宣伝する様子もなく、ただじっと抱えて立っている。これは近づかない方が無難なように思ったが、とにかく凄い。気長に一日中ただ立っているだけで商売になるのだろうか。この様な人の集団が何百メートルと続いている。その背後には、赤いマフィアがうごめいているそうだが。

▽埃っぽい街に香具師と乞食と
ロシア正教の寺院に行った時、そこの寺院の坊さんが教会復興のための寄付を求めていた。教会の見学に来たのだからと、寄付することにした。しかし、その門前では何人もの乞食がカネを恵んでくれと手を出す。そして、門前に国営の土産物屋が何軒もある。何処へ行ってもこれしか無いのかと思わせるゴルビー人形。それを開けると、中からエリツィン大統領、段々小さくなって最後がレーニンにまで到達する人形である。その他細々した物を売っていたが、絵葉書が1ドルと表示してある。1枚にしては高い絵葉書だと思って買ったところ、幾ら3年前の製品にしても、立派なカバーに入ったもので16枚も入っていた。

モスクワの町の中心と思われる所にハンバーガーのマクドナルドが店を構えている。ここでは入り口が2カ所あり、ドルとルーブルとで買う者の入り口が別々だと聞かされた。そして、ロシア人にとっては、マクドナルドで買い物の出来ること、あるいは食事が出来ることは大変なのだと。前にも述べたように、街全体が埃だらけで、道は悪く、人と車が無秩序に行き交っている。交差点でも横断歩道がなく、わざわざ地下道で横断しなければならない。その地下道は殆ど真っ暗に近く、異臭が漂っていて、道も整備されていないため、不気味さを感ずる。そして乞食が多数いる。街の中では故障した車が何個所かで目についた。こんな所を歩いていたら、体の中まで埃っぽくなるのではないかとさえ感じさせた。

私たちは日本に住むことに不満がたくさんあるかもしれないが、モクスワと比較したら、まるで天国のように感じた。見学者用のバスが停まるごとに、物売りが集まって来る。クレムリン宮殿に入る時など、モスクワの写真集だといって10ドルだとか20ドルだとかいってまとわり付くが、その人たちは、まだ20才にもならないような若者であった。

土曜日の朝、モスクワ出発だが、入国時の通関のこともあり、何が起きるか分からないからと、4時間も前にホテルを出発した。案の定、第1番目のトラブルはチャーターしたバスが空港に行かず、発電所の中に迷いこんでしまった。そのバスには助手の運転手まで乗っていながらの出来事である。ホテルとモスクワ空港間は一本道のはずなのにである。

▽ロシアの情勢が落ち着いたらぜひ再訪を

搭乗する飛行機はフィンランド航空なのに、アエロフロートの受付けカウンターでチケットを発行するようになっている。このアエロフロート航空のコンピュータが故障して、チケットの発行が遅れるとのこと。おかげで、私は一人だけアメリカ人の"将軍ツアー"と称される団体の中に放り込まれ、手持ち無沙汰な2時間を過ごさねばならなかった。

第3のトラブルは、出国のための通関である。私たちの集団の前に、多分ロシア人であろう中年の夫婦が、大きな段ボール箱を幾つも持ち込んでいる。検査官がその段ボール箱を片っ端から開けて、中の物を全部チェックしている。このため30〜40分も待たされる羽目となった。そして、その夫婦は最後に通関を許されたが、散乱した荷物の後始末をどうするのだろうかと、他人事ながら心配になった。

さて、私たちの集団の番である。入国時のチェックと同じように、持ち金一切出せと言うことらしい。お金の勘定は、ドル札に限ってスローテンポで数えている。これが一人ずつなのだから時間の掛かることおびただしい。中の一人が、入国時に申告した金額より120ドルほど余分なドルを所持していたため、30分もトラブってしまった。ミセス・リューダが通関窓ロまで入って来て、一生懸命、通訳をしてくれたお陰で事なきを得たが、何とも二度と訪問したくない思いであった。

ミセス・リューダとの最後のお別れの時に、彼女が「私は当分この仕事を続ける積もりだから、再度、モスクワを訪問する機会があったら、ぜひ通訳に指名して下さい」と言われた。モスクワは余り訪問したい場所ではないと答えると、「今は過度期なので、そのように感じられるかもしれないが、そう長い時間を掛けなくても落ち着くはずだから、ロシアの情勢が落ち着いたら、是非また来て下さい」と言われた。』