特大


得能正照自叙伝「発明街道」

はじめに(序文)


金婚記念で

私の人生は、まさに波瀾万丈そのものでした。いま振り返ってみても、大変楽しく、面白い人生だったと思っております。
それはまた、世の中の大きな変化に際して、いつも私の先輩や友人、また私の親戚や家族たちが、みな、私の身勝手な生き方も、陰に陽に支えてくれたお陰だと思っております。

ちょうど関東大震災の直後に、私が広島で生まれた当時、私の両親は学校の先生でした。その私が太平洋戦争直前に海軍兵学校に入学、多数の先輩、友人とともに戦争に参加しました。

そして、昭和20年の敗戦後、私の保証人であった木阪海軍少将の長女温子と結婚、また、父母の兄弟であった製紙一家の人たちの経営する朝日製紙、不二紙業、大昭和製紙に入社し、製紙の勉強に熱中させていただきました。
さらに、昭和38年にはレンゴーに入社し、以後約25年間、段ボール及び製紙(板紙)の勉強と開発に全力を投入することが出来ました。

これは、戦後日本の建て直しと高度経済成長の中で精いっぱい働くことの出来た私にとって、最も楽しく、やり甲斐のある人生だったと思っております。
その間の、とくに大昭和製紙の創業社長斉藤知一郎氏と、レンゴー加藤礼次社長のご恩は一生忘れることが出来ません。

このような変化の多かった中で、自分の将来はどうあるべきかを常に考えておりましたので、人生のあり方について色々と父の教えを受けました。教育者であった父は昭和44年に亡くなりましたが、父の遺訓は今でも心に残り、その遺訓をもとに、父に対する顕彰の証(しるし)として、昭和53年に学校法人「とくのう学園」黒田幼稚園を静岡県富士宮市に設立し、いまや、非常に立派な幼稚園となっております。

昭和63年にレンゴーを退社しましたが、その直後に昭和天皇が亡くなられて平成の御代に変わり、当時、バブルの絶頂期にあった日本経済が、その後は急落してきました。いま現在、まさに日本全体が21世紀に向けた新しい考え方、生き方に変わらねばならない時だと痛感いたします。

特に、日本の産業界においては、近年の経済停滞も反映して新技術開発の進み方が非常に遅く、いまや世界に立ち遅れた憂慮すべき状況にあります。従って、私は今日までの10年間も、いま現在も、これに対応するため「世の為、人の為」を信条に、及ばずながら頑張っておりますが、そういう意味も含めて、人生75年を機に、亘理さんとお話して、開発に明け暮れた私の人生街道を一冊の本にまとめてみることにしました。私の歩んできた道を何もかも率直に語り、それをお目に掛けることによって、いわば他山の石として、何か皆様の人生のお役に立てればと願っております。

平成11年11月
得能正照