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得能正照自叙伝「発明街道」

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1992-09-15 【連載第2回】(平成4年)

昔のカタログ、何もかも全て保存

つまり、根本はものの考え方だから、もう一度、元に戻って考え直した方がいい、と私は言っているわけです。すると、考え方がいっぱいあるんです。

それで、いま私はターンオーバーのミルロール・スタンドをやっていますが、ミルロールスタンドというのは、第1世代はみんなターンオーバーみたいなやつだったんです。初めは、シャフトをこう通してね。それが捨てられて、スウィング型に変わって、更に最近の一番新しいタイプを見ると、真ん中へこうやる。そうすると幅だけ広くなるんです。何を考えてるのかな、と思うんです。もう一ぺん、ターン・オーバーから考え直したらどうかとね。ターンオーバーの方がよっぽど安いんです。

それで昔の文献を出して来て(笑)、私は、昔からの、レンゴーに入って段ボールをやり出してからの世界のカタログが全部あるんです。これもそう、大昔のゼンコー、もう潰れた会社ですけど、ターンオーバーのミルロールスタンドのスプライサー付きです。大昔のこれは非常にいいんですよ。そうすると、いま、これでデザインしますと、こういう風に4mで終わっちゃうんです。これが私が画いたデザインです。日付が平成4年7月10日ですから、つい先月です。たった4メーターで終わっちゃうんです。

しかも、こうやるヤツ(スウィング型)よりもチェンジ(原紙交換)がよっぽど速いんです。それでスプライサー(紙継ぎ)も片方だけでやれるから、物凄い自動化ができるんです。

いま私は、こういうことを、つまり第1世代に向かって、全部考え直しているんです。それで一つひとつ、良い点を取って、第4世代へつなげようと考えているわけです。そうでしょう、4mで終わってしまうんですよ。いまの最新型と称するものは、幅が6mもかかるんです。だから、こういうヤツをみんなデザインしているわけです。こういうやり方でこうやり、こうやって、原紙はこういう方向にやるかと考えているんです。

−−発明というのは、こういうようにするものですか(笑)。
(本紙注)それは何冊も、何冊も、何冊もの手書きの設計デザイン集であった。機械の種類ごとに仕分けされ、綴じ込まれていて、ごく簡単な10数本ぐらいの線が引かれているデザインもあれば、横長の用紙に細部まで微細に画かれたデザインまで、千差万別のものが1冊にまとめられ、それがオフィスの壁ぎわ一面に2段に重なり、2mほどの高さに立ち並んでいる書庫にびっしり詰め込まれていた。その労力の集積たるや、正に気の遠くなるほどの時間と精神集中度なのだろう。「天才とは、99%の努力と1%のひらめき」という言葉を改めて思った。

いまね(笑)、私は第1世代の見直しをやっているんです。大昔からの、世界中のカタログがみんな取ってあるんです。ああ、こんなものまでありましたか、というようなカタログまで取ってあります。いや、これをやらないと、第4世代には繋げられないだろうと、私は信念でやっているわけなんです。だから、これをちょっと見てご覧なさい。どんな昔の資料でも全部ありますから。

−−宝ものですね(笑)

これが抄紙機でしょう、これは全部そう、昔のカタログです。スプライサーから、これがミルロールスタンド、シングルフェーサ、ここがずっとコルゲータ、コルゲータ関係、大昔からのカタログが全部とってあるんです。それの第1世代のヤツを見ながら、第4世代のデザインを考えているわけです。ええ、そっちも全部そう、こっちはノーフィンガー。

というやり方をやりませんと、新しいものは開発できないんですよ。ものの考え方がね。ああ、これは台湾関係です。正隆(チェン・ルン)有限公司から頼まれているんです。

これはもう、昔からの抄紙機の関係です。ラミネーター、タンペラ社、フォイト社、カルメットですね。これをやりませんと、開発はできないんです。

それから、これはむかし発表した海外の文献です。「第3世代への展望」とか、海外でのスピーチの原稿です。「段ボール機械開発の方法」とか、これは「ラングストンにおける講演」ですね。それから、これは「紙パルプ産業の動向とその対応」(1960年)ですか、「生産原価」問題だとか、「国際化」だとか、もう古いやつですけれど、いつでもお目に掛けます、全部ありますから。

だから、私は、第4世代の展望はどうあるべきかというのを、いま、試行錯誤しながら、一つひとつ、シングルフェーサ、ミルロールスタンド、それから、もうここまで来たらブリッジは要らないと考えています。スプライサーも、いまちょうど川崎製鉄に頼まれて、千葉工場に分速800mのスプライサーを入れたんです。

−−鉄用のスプライサーですか。

いや、鉄じゃなくて、鉄も変わりましてね。私はこれはツーマッチだと思うんですけれど、薄鉄板を、自動車用鋼鈑とか、ああいうものを作るとき、クラフトペーパーを合い紙で間に入れるんです。すると、鉄板がお互いに擦らなくて、キズがつかないんです。これでやった自動車っていうのは、表面がピカーッとしているわけ、塗装のあとで。

しかも、圧延機のスピードが800m、1000mでしょう。それに巻取紙を自動的に入れるわけです。すると、スプライサーが要るでしょう、800mでいけるんです、ボーンと。それがこの間、完成式が終りましてね。

そのスプライサーは幾らだと思いますか。

−−さあ、まるで見当つきません。段ボール用の機械なら、多少は(笑)。

段ボール機械なら、千何百万円でしょう、これは1億3千万円です(笑)。同じようなスプライサーで、これじゃバカバカしくて、段ボール屋さんには売れませんよ(笑)。

分速800mで、しかも1秒間に50mのスピード変化でしょう。ゴーンと上げるんです、鉄だから、切れないから(笑)。全機のスピードが、ゼロから800mになるまでに、5秒とか何とか言ってるんです。グワーンという音がするんです。それのテンションに耐えられないと、紙の方はみんな切れちゃうんです。それの機構をぜんぶ開発して、入れたんです。

それは、私がパテントを持っているやつです、テンション・コントロールですね。

それで、いまこのミルロールスタンド関係で、三菱重工には、「得能さん、600mの中芯用のミルロールスタンドとスプライサーの開発をやってよ」といわれて、いま、開発をやっているんです、「ああ、そう」いうて(笑)。

実際はもう、あるんですよ。私は必要ないと思うけど、彼らは600、私は800mで、もう実績があるから(笑)。

「だけど、何のためにそんなにスピードを上げるんだ」と言うと、「いや、日本は別だけど、アメリカヘ持って行ったら、みんなスピードを上げろ、スピードを上げろという」と。もう、コルゲータは400mぐらいになるでしょう。すると、「中芯はやっぱり600mぐらいのスプライサーを入れておかないといかん」というんです。

勿論、私が言っているのはそういう関係じゃなく、例えば、昔は(片段を一旦溜めておく)ブリッジはどうしても必要でした。だけど、いまは連続運転でほぼ100%の成功率です。とすれば、ブリッジはもう要らないよというんです。熱の発散以外の何物でもない、熱を放出しているだけ、エネルギーの損です。
だから、ラミネーターと同じように、シングルフェーサから行くのに、いきなりダブルバッカーとやれば、人も要らないというわけです。それは第4世代だと思うんですよ。だから、まあそういうように、第1世代の見直しを、ずっとやっているわけです。

あらゆる角度から一つひとつ検討して、「なるほど機械は簡単になったな」というような機械に、第四世代はなるだろうと私は思っています。デリベリーもそうです。

一番最初がスプラーサー、次はスリッタースコアラ

−−話題を、開発の最初のころ、レンゴーさん当時に戻して、一つ質問させていただきますが、次から次に開発されたその順番としては、どういう順番だったのですか。

まずスプライサーです。これはね、滋賀工場でやってたんです、自分で考えて。紙継ぎは、あの当時、粘着テープがやっと出はじめた頃でね。それまでは、刷毛で糊をつけて紙継ぎしていたんです。それがアメリカに行ったとき、ミスター・スチブンソンがまだミード社にいたんです。私は加藤さんとミードに行ったんですが、社長にも会い、スチンブンソンが段ボール工場の中を案内してくれて、「ミスター・トクノー、スプライサーをやんなくちゃあ、ダメだ」と、彼がそういうのです。

そりゃあ、もう、ラミネーターなんていうのは、新聞巻取でも何でも、みんな一般的に紙をつなぐのにスプライサーを入れているから、「そりゃそうだな、いままでスプライサーがないのがおかしいわ」いうて、スチブンソンに「アメリカでどこか、スプライサーを入れて運転しているところがあるかい」と訊いたら、「無い」というんです。「そんならオレが帰ったら、すぐやるわ」いうて、それで開発を始めたわけです。

それは、もう簡単、ワケなかったです。私は大昭和のとき、さんざんやっているから、ラミネーターだのなんだののスプライサーをね。それで、スチブンソンが見に来たんです。

−−変な質問ですが、その頃、スプライサーはアメリカにも無かったのですか。

無かったんです。巻取が1本終わると、こう斜めに切って、そこを粘着テープでつないで、またポンと回すという作業を、いちいち手作業でやっていたんです。こっちもスパツと切ってね(笑)。

−−スプライサーの次は何でしたか。

次はスリッタースコアラです。もう、いちいちスリッター刃の移動をこうやって、罫線をこうやっているから、回すかわりに、カチャッと変えればいいじゃないかといって、やはり滋賀工場でやったのが最初です。スリッタースコアラはね。

−−滋賀工場は、レンゴーさんの中で、何かそういう実験的な工場でしたか。

いや、近かったからです、それに小さくてね。大阪工場は大きいから、出来ないんです、怒られる(笑)。それで、滋賀工場でうまくいって、その次に豊橋工場の建設のときに、滋賀工場のをモデファイして、入れたわけです。

それで、豊橋のときには、三菱のコルゲータばっかりではしょうがないからと、初めて三菱をやめて、s&sを入れようかと言って、s&sを入れたんです。それでs&sの社長が、試運転のときにわざわざ挨拶に来たわけです。

彼は、スリッタースコアラを見て、飛び上がったんです、自動でやってましたから。紙をいちいち止めないで、そのままカチャンといって走っているから、「すごい」というんです。私は、「いや、カッターも瞬時に変わらなきゃな」と、そのとき、s&sの社長に話したのを覚えています。s&sの社長は、「そんなことはできん」というんです。s&sのカッターですから、「あと、すぐ変るヤツをこしらえてくれ」と言ったら、「できん」というんですよ。「リーブスなんていうのは、そんなに一ペんには変えられない」と言いました。

「よし、分かった、そんならオレがやるわい」と言ったわけ。「あんたがようやらんなら、オレが開発する」と、そう言ったんです。それで、世界中のカッターを全部調べました。段ボールじゃないですよ。切るというカッターは全部、紙から何から、製鉄から何もかも全部です。そのとき、これを見つけたんです。

あれっ、この中にあるはずなのに、無いですね。要するに、リーブスを使ってないんです、全部ギヤでやっている。鉄板のカッターで、スピードは350m、これは鉄板でね。それで、どうしてかと聞いたら、鉄板は「四・八」か、「サブロク」しかないというんです。トタンを切るのに、そんなに長いものはないんです。だから、ギヤの入れ替えだけでできるんです。

私は、そんなのは、ギヤの組み合わせをいっぱいこしらえておいて、カセットにして、カチャッとやれば、すぐ変わるじゃないかと言ったんです。そしたら、インスタント・チェンジでカッターはすぐポコンと変わるし、リーブスをいちいちこんなにして、何10秒もかけて変える必要はないという話だったんです。

それで、鉄板というのは面白いなあ、紙より相当進んでいるなというので、製鉄を一回見たいと行って見たのが、先ほど話したパイプの切断機だったんです。「なんだ、こりゃあ。そんなら、こうモーターを直接制御して、いけるじゃないか」というわけ。それで、リライアンスが連れて行ってくれたけど、リライアンスがこの制御をやっていたから、「これは簡単じゃないか、ナイフをこうつければいいんだ」という結論だったのです。

−−やはり、最大のポイントの一つが、カッターだったわけですね。

そう、1年半で投資分が回復できて、タダになりました。いまでもそうですよ。あの当時は、切断誤差で余分に3?か4?、伸びをとっていたんです。それがなくなるんですから、そうでしょう、寸法がキッチリしていますから。すると、そのロスの解消分だけで、1年半でモトがとれたんです。

−−私も、もう17年前の記憶ですが、いまでも覚えているのは「技術って、すごいなあ」と思った、そういう記憶ですね。

これは、初めてやって、私も、「うまくいったあ」と思って、TAPPIで発表したんですよ、そしたら、満席でしたね。スゴイのを発表する、と聞いてね。データを出して、スライドを見せたりしたら、「質問」というわけ。みんな、よう知った連中ですから、「タイガー・トクノー、それ本当か」(笑)と、こうきたわけ。アタマにきちゃってね(笑)、「なんでオレがウソを発表しなきゃならないんだ、ウソだと思うなら、見に来い」と言ったんです。

みんなは早速、「幾らで買えるのか」と言うんです。それで、ウワーッと来ました。売って売って売りまくってね。ちょうど1台のDDSについて、私は200万円、つまりレンゴーでピンハネしたわけです。レンゴーでも売ったんですから。そのときに、380何台まで売りました(笑)。6億円も稼いだんです。

それで、全世界のDDS-Rの一番の最盛期に、全世界のシェアは75%ありました。75%のシェアを持っていたんです。380何台までは覚えています。それで怒られちゃあ、合わないというわけですよ(笑)。いや、いまから考えると、売るべきじゃなかったんでしょうかね。経営者の考え方は、正しかったと思いますよ(笑)、企業にすれば、ね。

だけど、私は技術屋ですから、「何も、かれらが開発したわけじゃないんだ、オレの頭でやったヤツだ(笑)、売れっ」というようなもんでね。まあ、発明者の権利を言ったら、200万円じゃ少ないんだけど、問題はカネじゃないですからね。だから、いま私はこうしていられるんだし(笑)。

とにかく、あいつは凄いなというような具合で、ウワーッと売れましたね。忘れもしない、380何台まで売れて、それで、もう面倒くさくなってね。こんなものにいつまでも関わっておれない。次のやつがあるしね。「おい、リライアンス、お前のところでやれ」というわけです。「もういいわ、これだけ儲けたら、お前らをフリーにしてやるから、独自にやれ」と言って、それでリライアンスが独自にやったんです。

リライアンスでは、それで横浜工場が出来たんですよ。DDSの稼ぎでね。だから、リライアンスは、私には足を向けて寝られないと言っているんです(笑)。当時のリライアンスの社長の吉田さんも、「この工場は得能さんのおかげで出来ました」と、いまでも言いますよ。私は、「ああ、良かったですね」と言っているんです。リライアンスの吉田さんは、私の後輩で、大昭和時代からの友人ですし、立派な人です。

それだけのことをやりましたから、私も満足しています。

どんな中芯でも貼れるシングルフェーサを

そのあと、加藤社長が何かの会合で東京から帰って来て、「おい、得能君、ちょっと来いよ」と言うものだから、社長室で、「まあまあ、一ぱい飲め」なんて言われて、夕方、酒を飲みながら、「おい、得能君なあ、中芯がね、どうとかこうとか言うてるけど、品質がどうのこうので、シングルフェーサがうまく出来ないという話をみんなしているんだけど、ホントか」というから、「いや、本当ですよ」と言ったんです。すると、「ホントなら、まあいいわ」というんです。

そして「得能くん、なあ、どんな中芯でも貼り合わせられるシングルフェーサを考えたらどうだ」いうて、私にハッパをかけるんです。「いや、それは考えられますよ。そんなものは」と言ったら、「いくらぐらい掛かるだろうか」と私にいうから、「さあ、二〜三億も掛かるのと違いますか」と話したんです。そしたら、加藤さんは、「ううーん?」なんて考え込んで(笑)。私もオーバー気味に言ったんです(笑)。「そうか、よし、分かった、やれっ。どんなにカネが掛かってもいい。それを完成させろ」と。社長のトップ命令です。

「わかりました」と、それから手始めに、「そうだ、分かった、真ん中の段ロールにサクションすれば、フィンガーは要らんじゃないか、こんなもの簡単だ」と考えて、金子君やなんか、みんないたから、「おい、真ん中の段ロールでサクションして、熱を入れないでやったら、シングルフェーサはどうだ」と言ったら、「そんなもの、全然、片段が出来ませんよ」というんです。「ノリが、とにかく、くっつかないですよ」とみんな言うわけ。

「ウソつけ、それじゃ実際にやってみようか、みんな来い」と、技術部員をみな連れて大阪工場に入り込んで、「工場長、悪いけど、1時間ばかり1台貸してくれ、いまやってるヤツでいい、ちょっとロスが出るけど、我慢してくれ」というわけです。そして、「よく見てろよ」とオペレーターを呼んで、「おい、シングルフェーサの中段の段ロールの熱を止めい」と、蒸気を止めさせたんです。

はじめはスピードが180mか、それぐらい出ていたんです。そのまんまの状態で、真ん中の熱を止めたのですが、すぐには落ちないんです。しかし、だんだん、だんだん冷えてくるでしょう。それで、「お前ら、よく見てろ」というわけです。すると、しばらくしたら、ノリが糊化しないで、白くなってくるんです。それで、「もうちょっとスピードを落とせ」というと、「ああ、直りました」、「もうちょっとスピード落とせ」「直りました」で、だんだん、だんだん落ちて来ます。

どこでバランスがとれるかです。そしたら、120mぐらいでバランスがとれたんです。だから、そのままの状態で120までスピードを落とすと、中段ロールへは全然蒸気を入れなくたって、ドーッと回っているんです。

その記録は、私のところに全部ありますよ。「キミたちはみんな、段にならないとかなんとか言ってたけど、ちゃんと120で出来るじゃないか。中段の段ロールの熱を止めても、できるじゃないか」ということでした。

私は、いろいろな開発を、必ず理詰めで行きますからね。「まあ、分かった。それじゃ、シングルフェーサの空いているやつを中研の裏に1台据えろ。それで、サクションにするから」と、中に孔をあけて、サクションにしてやったら、やはり、同じように120ぐらいは走って、「それじゃあ、ノリが付くところの熱が足りないんだから、プレヒータ(予熱装置)の大きいヤツを一つ増やして、ノリの付く方へプレヒータを当てて、ガーンと温めておいてやれば、いける」と言ったんです。

「それじゃ、やってみようか」とやってみたら、200まで行きました。プレヒータつけて、こう巻いたらね。こんな、わけないやと、すぐプレヒータをつけたんです。大阪工場の中研の裏の、1600?のテストマシンでね。

「それじゃあ、東京工場でやるべえ」(笑)と、東京工場のコルゲータはトリプルになっていて、Cフルートのシングルフェーサが正規に据えつけられているんだけど、Cフルートは使わないものだから、それが1台余っていたんです。そいつを、三菱を呼んで、それまで三菱には、ひと言も言ってないわけですが、それで、「三菱さん、悪いけんど、こうやったら、こうなった」と言ったら、三菱は、びっくりしたわけです(笑)。テストマシンを見せたらね。「だから、筋をつけて、アナをあけて、こうやろうよ」といって、そして開発は終わったんです。

ところが、それでやったらスダレになっちゃったんです。共振点ですね、バーッと、振動(共鳴振動)で、スダレみたいに段切れしちゃったんです。「こりゃあ、あかん」というわけです。

二億かかってフィンガレス開発 ようやったと加藤さん

あれは何10回、段ロールを何10本、作り替えましたかね。肉厚だ、色んなヤツを、物凄く作り替えてね。スピードが150m以上になってくると、全部スダレになってくる。それで、困ったあ、というわけです。ちょうど平川君(三菱)がいて、彼が担当で、「おい、段ロールをすぐ作って来い」と何10本もですよ。その費用だけで、2億円かかりました。私は、全部払いました、その費用を。

それで、やっと良くなるかに見えたんです。だが、「待てよ、シングルフェーサが悪いぜ」という感触です。シングルフェーサの機構がね。それで、すぐ豊橋のs&sの機械を改造してみたわけ。そしたら、ピタッとうまくいったんです。「見てみい、ダメじゃないか、シングルフェーサの加圧機構が」となったんです。それで、S&Sの方式をマネて、加圧機構を全部変えたんです。ほかの三菱ラングストンタイプのものも、全部変えました。

それで、加藤社長には褒められましたね。「お前、ようやってくれたなあ」と言って。「どんな段でも大丈夫だ、どんな紙でもいける、これで革命が起きるなあ」と言いましたね。「カネも使ったけどなあ」(笑)なんて言うから、「ナンボでも使えって言うたじゃないですか」(笑)ってね。2、3億と最初に言ったのが、ほぼピッタンコ(笑)でした。加藤さんは「ようやった」と、何度も褒めてくれましたね。