特大


得能正照自叙伝「発明街道」

編者まえがき

7年前、私の主宰する「段ボール事報」(旬刊)に得能さんのインタビュー記事を連載しました。第1回目は平成4年8月30日号でした。当初の予定では、連載回数は3回ぐらいの心積もりでしたが、話題が非常に多岐にわたって、飛び切り面白く、読者にも非常な反響を呼び、結局はインタビュー回数で5回、延べ10数時間に及び、年末最終号までの連載回数が11回となりました。

そういう経緯があったことから、得能さんが平成10年12月に満75才になられたのを機に自叙伝をまとめようと決心された際に、その刊行に協力してほしいとのご依頼がありました。私は、喜んでお引き受けしましたが、ただ、旬刊紙発行のかたわらの作業なので、出版の準備に10カ月ほどの余裕が欲しいこと、また、前回の連載も生かし、それと重ねて一冊にまとめるために、文章形式はインタビュー形式で構成するということで、ご了承をいただきました。

そして、当初は10月ごろの刊行を予定しておりましたが、印刷工場の年末繁忙等の事情もあって3カ月ほどずれこみ、結局、得能さんご夫妻が揃って喜寿・古稀の祝いを迎えられる西暦2000年の節目の年の、また新しい時代の始まりとなるこの新春に、ようやく上梓の運びとなりました。

私が「トクノー・テンノー」の異名を初めて聞いたのは、多分、昭和36〜37年ごろではないかと思います。そのころ、得能さんは、大昭和製紙吉永工場で次々に新しい板紙抄紙機を建設し、市場を席巻する新製品を、相次いで世に送り出していました。「トクノー・テンノー」は、得能さんの、当時のカリスマ的な権威への畏敬を込めた別称だったと思います。しかも、得能さんは、当時はまだ40才前後の若さでした。改めて驚かされるところです。

昭和38年に大昭和製紙を退社して、次はレンゴーを舞台に、ウルトラフォーマー抄紙機や、ナイヤガラスタッカーや、コルゲータ関連のほぼ全ユニットにわたる革新的な技術開発を行った得能さんを、こんどは海外の友人たちが「タイガー・トクノー」、或いは単に「タイガー」の異名で呼び始め、いまなお欧米の業界人たちはそう呼んでおります。

発明家といえば、トーマス・エジソンをはじめ、数多くの発明家の発明によって、今日のわれわれの生活が如何に便利、安全、快適になったか、計り知れません。現代の段ボール産業に置き換えて言えば、最大の恩恵をもたらした発明家の筆頭が得能さんであることに疑問の余地はないでしょう。特に代表的なコルゲータにおいては、全てのユニットが、得能さんの発明によって、旧世代の装置と置き換えられ、それにより自動化・高速化・無人制御化への技術革新の道を切り拓くことに成功し、更には、ユニークな発想によって、ごく短時間の段ロール交換を可能にし、1台のコルゲータで何種類の段ボールも製造可能にするとか、以前には考えられなかったような技術領域も開拓しました。

意識する、しないに拘わらず、段ボール産業に携わる人々はみな、得能さんに多大な恩恵を蒙っているわけです。

そして、エジソンの発明が1870年代以降、当時新進の資本主義国アメリカの飛躍的発展に著しく貢献、同時に世界中の人々に等しくその発明の恩恵を及ぼしたように、得能さんの発明も、まず最初に日本の段ボール産業、段ボール機械産業の飛躍的発展をもたらし、日本発の新技術が、世界の段ボール業界を席巻しました。それまで、日本の段ボール産業人が、欧米諸国から技術導入その他で何とか新技術を取り入れようとしていたのに対して、得能さんの発明で立場が逆転、先進諸国をはじめ世界中から日本の工場見学に来るという状況にもなりました。

そういう、得能さんへの世界の評価と感謝の表明が、「TAPPI段ボール賞」の受賞でした。

今回の自叙伝刊行は、得能さんの功業を改めて世に問い、広く顕彰する機会でもあると考え、私にとっても非常に誇らしい、価値ある作業と思っております。

私は、前回の新聞連載分も合わせると、得能さんと合計10数回、延べ30時間ほどインタビューを重ねたことになります。実は、それでもまだまだ話のタネが尽きず、会えば必ずまだ聞いたこともない話が飛びだしてくるのに驚かされてきました。しかし、当初の刊行予定の日時も過ぎましたので、このあたりで総まとめを急ぐことにしました。

全体の構成としては、今回行った数回のインタビュー分を前段に、そして7年前の新聞連載分を後段に配し、また、前段のインタビューの内容を項目ごとにくくって、それぞれを各章としてまとめ、更に最後に資料編をまとめました。インタビューの日時の違いなどで、内容が多少前後するところがあるかも知れません。ご了承をお願いする次第です。

2000年1月
段ボール事報社 代表亘理昭