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得能正照自叙伝「発明街道」

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終 章  残された人生

——これまでかなりの回数、また前回の平成四年当時の連載も加えたら実に長時間にわたってインタビューを重ねて参りました。得能さんが、いま、改めてご自分の人生を振り返って思われることというのは、どんなことでしょうか。

私は、これからの自分に残された人生を、どう楽しく生きるかを考えながら、意義あるものにしたいと思っております。そのためにも、やはり、海軍兵学校で教育された五省を胸に、いままで働いてきた戦後約50年の作業記録をもとに、高度成長期の開発の考え方ではなくて、21世紀に向けた新しい開発の進め方を、若い人たちに教えなければならないと思っています。

これからの人生は、ボランティアです。私の知る限りの製紙の技術、段ボールの技術を、日本でも海外でもどこでもボランティアで、何でも全部教えます。 この間、アメリカでもそう言って来ました。それが、これからの私の人生であり、それがまた私の信条である「世の為、人の為」を全うすることだと考えております。

——それにしても、過去の作業記録が全て保存されているんですからスゴイですね。何年前の何月何日の何時に、どこで何をしていたのか、過去の記録から、いつでも読み返すことの出来る人生なんて、ただ、ただ呆然ですね(笑)。

(奥様)それも、サッと出て来るんです(笑)。

——そういう得能さんの天稟の才能、つまり天才ですね。そういうのは、お子さんやお孫さんたちに、ちゃんと伝わっているのでしょうか(笑)。

さあ、知りません(笑)。

(奥様)まあ、子どもは男の子が一人、女の子が三人ですからね。父親が、やっぱり昔の人ですから女の子は適当に早く結婚しろ、結婚しろと言って、それぞれ(笑)。

——まずこの整理能力というのが、もの凄いですね。

(奥様)ああ、整理の、ですか。

——整理して、キチンと保存したりというのは、まず頭の中の整理から始まって、何もかも全て関連するものでしょう。アタマの中が整理されていないと、次に進めませんし。

(奥様)少しは似ているのもおりますが、けれど、似てないのも多いです(笑)。 やっぱり、記録と保存、これをやらないとね。だから、絶対捨てないです。私が死んだら、全部、燃やすでしょうけどね(笑)。

——整理する場所があるかないか、ということもありますね(笑)。

(奥様)そうですね。普通は、こんなの、大変でしょう。

いまも、台湾からこの手紙が来たから、台湾にはいつから行って、一番最初はどういう仕事を、どうやったのかな、というのを探したんです。ここに書いてあるでしょう、台湾に1981年に行ったときのことが、なんでもみな書いてあります。 ——ええ、なるほど。

何月何日に行って、こういうように出発して、李さんが運転して、新竹に行ってこうこうですね。何月何日の何時何分にどうやって、こうやってというのが全部書いてあるんです。これを見れば、どう行って、どう説明をして、どうなったんだということが分かるんです。

——これは、訪問が終わってから書かれるわけですか。

いいや、行っているとき、毎日書くんです。

——仕事をしている最中にですか。

ええ、そうです。

——その日、その日にですか。

そう。その日、その日に、これを全部書きます。

——そういうご主人で、奥さんと会話する時間は、あったんでしょうか(笑)。

(奥様)やはり最近は増えましたけど、昔は余り無かったでしょうね(笑)、ろくに家にいないんですから。

——そうでしょう(笑)。

夜は、家に帰ってから、ああだこうだ、全部書いているんです。だから、海外出張の第1回目から180何回まで全部、ノートがあります。そのほかに、日記帳も毎年のがあります。

——人間は、一日に24時間しか時間を持っていないわけでしょう。私が不思議なのは、得能さんは、その中の何時間もこうして書いておられるわけでしょう。

ただ、だーっと書いているだけです。

(奥様)何時間もは、かからないです(笑)。

自動車の中でも、飛行機の中でも書いていますから。

——そうすると、それなりに奥さんと会話する時間はあったということですね。

ありますよ(笑)。

——失礼ですが、そうでないと、こんなに仲睦まじくは(笑)。

全部揃ってますから。だからいつ、どんな話があっても、ああ、ちょっと待ってと言って、このノートを持ってきてパッと見ると、いや、それは話が違うよとか、ああだ、こうだとなるんです。 まず記録をしないと、ダメです。私はそう思いますけどね。

——どうやったら、そうできるのか(笑)、そのノウハウを書いただけでも、一冊の本になりそうですね。

そんな、なりませんよ(笑)。だけど、その時は何にも無くて書いているわけでしょう。こんなことを書いたって意味がないと、大体の人が、全部そう思うわけです。だから書かないんですよ。ところが、それを書いてさえおけば、十年後にそれを見たら、ああ、ああだったか、こうだったか、その時に初めてその大切さが分かるわけですよ。そうじゃないですか。

そうすると、ああ、そうだったか、こうやれば良いんだ、ああだということが思い返されて来る、という結果になると思うんです。 だから、私はみんな書いているんです。そのときには、それがプラスになろうが、なるまいが、そんなことは何にも頓着無く、私は書いているわけです。

——ノートやなんかは、全然捨てないんですね。

捨てないです。

——私も書くことは書いているんですが、みんな捨ててきましたから(笑)。 捨てないから、資料が全部揃っているわけです。だから、何の資料でも、全部揃っています。

例えば、フィンガレスのシングルフェーサを作ったときは、どうやって、どういう風に変わって、どうなってきたかということの資料が全部あります。それを見れば何でも分かります。全然見たことのないような資料も、いくらでもあります。それでも置いてありますから、とんでもない資料があるんです。最近は、もう全然見てないですけど、ありますね。

——そうですか。

(奥様)置くところがありますから(笑)。

——いくら置くところがあっても、普通は誰もやりませんが。

(奥様)前に住んだ関西でも、子どもたちが巣立って行った部屋に本棚を作って、こういうように並べていました。

これは、まだ誰もやっていないと思うんですが、非常にプラスになると思うんです。世界でも多分誰もやっておりません。つまり、リグニンがありますね。パルプを作るときに出ます。リグニンはもともと接着剤ですから、段ボールの接着剤として使って、貼り合わせをしたんです。私がリグニンの廃液を持ってきて、この「リグニン廃液の段ボール接着剤への応用」という実験を、ずっと大昔の昭和52年にやったんです。

——結果はどうでしたか。

良かったんです。ところが、それから全然前に進まないんです。誰もやらないんですよ。リグニンはタダみたいなものですから、接着剤としては、非常に有望なんです。こういうのを前に進めてもらいたいと思うのですがね。

——いわゆるケミカルですね。

そうです。もう昭和52年に、こういうのもやっているんです。 ところが、私がその当時にやったというだけの話で、その後は、何にも新しい発展がないわけですけれども、20年前の資料はちゃんとこの中に入れて、どこへでも、何でもやれるような状況にはしてあるんです。

——リグニンはいま、どうしているんですか。みんな捨てているんでしょうか。

燃やしてね、処理しているんです。

——相当空気を汚染していますね。

もともと、リグニンは接着剤ですから、そういう利用ができれば良いですね。

——木材繊維を接着しているわけですね。

そう、リグニンがセルローズをくっつけているんです。そういう、例えばリグニンの問題をたまたま例にして言っただけの話で、ケミカルの考えが新たに入ってくれば、段ボールの機械もずいぶん変わると思うんです。

——ケミカルの話がもうひとつよく分からなかったんですが、リグニンのお話を聞いて、よく分かりました。遠心力で飛び出すところをくっつけたら、簡単ですね。

そうなんです。私はよくは分かりませんよ、ケミストじゃないですから。だけど、ケミカルの話はやはり耳の中に入れておきませんとね。リグニンがどうだったとか、何がこうだったという問題を頭の中に入れておきませんと、そういうものが応用できなくなりますから。

ただ、私にはもう、そういう時代は過ぎました。第一線にいるわけじゃないですからね。第一線にいれば、そんなもの、とうにやっていますよ。そういうことを、いまの製紙、段ボール関係の技術屋さんに、なるほど、そうだなあという感覚でやってもらえればいいですがね。

——どうも、そういう議論は少ないようですね。

高度成長期の日本は大変なものでしたが、日本の戦後教育の在り方によって、日本の産業がダメになって来たように思います。海外はそんなこと無いです。例えば、私が何か言っても、「そうだ、そうだ」と敏感に反応する人が多いんです。「おい、それで行こうじゃないか」とすぐ行動を始める人が大勢いるわけです。日本人は、感覚的に、そこまで行かないんです。

——神経が鈍いんでしょうか。

日本人の島国根性じゃないでしょうか。現在の日本と、欧米の諸外国の考え方に大きな差があります。海外の連中と話すと、すぐピンとくる連中がいます。やあ、よくそれを教えてくれたとね。 日本人が、海外の連中とどうして性格がこうも違うのか、よく分かりません。やはり、欧米の人間というのは、日本人ほど故郷(くに)にしがみついていないからでしょうか。

——日本人のようには、戸籍がどうとか、ご先祖がどこから出て、一体どういうことをしてきたのか、よく分からない人が多いらしいですね。

よく分からないんです。ほとんど知らないでしょう。

——日本人はほとんど分かっていますね。ご本家というのは、みな何百年だし(笑)。

海外の連中は、親は親、オレはオレだ言うて、あっちこっち、どこにでも住みますよ。家も安いから、どこかに仕事があると、それを売って、買ってパッと行く。自由自在です。だから、日本に住むと、日本が面白くて、自分の国みたいにして、すっかり日本に住み付いちゃう。こういうのは、日本人の感覚ではなかなか出来ないです。

——出来ないですね。自分でやろうとも思わないし(笑)。

だから、アメリカの連中だって何だって、日本語が分からなくたって来る。それで、英会話の学校で英語を教えたりなんかして、そのうちに日本語も覚えてしまう。日本人には、そういう性格はないですね。やっぱり、故郷を大事にして、親を大事にして。

——日本人にも、良いところがいっぱいあるんですが(笑)。

そう、それも大事です(笑)。私も家内と春分の日にオヤジの墓参りをして来ました。護国寺にありますから。それは良いことだと思うんですよ。

——しかし、まあ、自叙伝を書いても、人々が関心をもって読んでくれる人生と、誰も読んでくれない人生というのが、あると思うんです。得能さんのように、みんなが読んでくれるような素晴らしい人生を生きた人は、自分の生きざまを、変に照れたりせず大いに書いて、たくさんの人に読んでもらうべきですね。それも「世のため、人のため」ではないでしょうか。

兵学校の同期生にね、「おい、オレはいまちょっと忙しいんだ」と言ったら、「なんでだ」と言うから、「いや、自叙伝の原稿を、先生に出さなきゃならないんだ」と言ったら、みんなが「へえー、自叙伝を出すんじゃ、お前の人生も、もう終わりだ」とケチを付けるんです。「何を言うか、もうこの歳だから、永年生かしてもらった恩返しに、得能はこうやってきたんだと、オレのノウハウを何もかも洗いざらい公開して、若い人たちを大いに刺激して、頑張ってもらうんだ。オレは、まだまだ、これからの人生だ」と言いましたけれどね(笑)。

——そうですか。あと10年経ったら、二冊目を作りましょうか(笑)。