特大


得能正照自叙伝「発明街道」

「あとがき」

自署

本書は結局、A5版420ページに達する大部の自叙伝となりました。そして、その420ページの本文作成時に、挿入する場所がどうしても見つからなかった写真が一枚、私の手許に残りました。最後に、この写真にまつわるエピソードをお話して、「あとがき」に替えたいと思います。

序章に述べたとおり、駆逐艦「野風」からの転属命令を受けた得能さんは、その昭和20年2月から5カ月間、海軍潜水学校普通科学生から波号潜水艦乗り組みに転じ、能登半島の内ぶところに抱かれた富山湾内で猛訓練を受けていました。というのも、伝統的な訓練海域だった瀬戸内海は、米軍機による空からの磁気機雷投下で使用できず、そのため、現在の石川県鳳至郡(ふげしぐん)穴水町あたりを基地にして富山湾で訓練を行っていたのだそうです。若い士官たちの宿舎は、同じ鳳至郡の来迎寺(らいこうじ)という由緒ある古いお寺でした。

それから40年も経った昭和60年ごろになって、むかし懐かしい来迎寺を、海軍兵学校第七十三期生の何人かのグループが訪れました。すると、当時の思い出話を聞いた住職さんが、海軍士官たちがいた頃の記帳簿を取り出して、見せてくれたそうです。

いつ戦死するか分からないという戦時下の、まして血気盛んな若者たちの戦勝祈願の筆跡ばかりですから、大概は「討ちてしやまん」とか「鬼畜米英撃滅」といった勇壮激烈な言葉が書き連ねられている中で、得能正照中尉(潜水艦時代に昇進)は、水仙に一匹の(自身に見立てた?)バッタが止まった優しい絵を自署とともに残していました。

そういう話を伝え聞いて、七十三期同期会が後日改めて来迎寺を訪れる旅程で開催されたとき、一行に加わった得能さんがカメラに収めてきたのが、ここに掲載した写真ということです。一行が訪れたときは、来迎寺でも有名な話になっていて、当の記帳簿が予め用意してあったそうです。

子供のころから絵が大好きだった話が最初にありました。三つ子の魂というか、海軍士官になっても、それは変わらなかったわけです。そして、いたずらに大勢に迎合、妥協しない、わが道を往く強くかつ柔軟な精神が、後年の缶詰ライナーやジェットマニラの開発から、ウルトラフォーマー、コルゲータほか、世界中を驚嘆させた発明に密接に結びついていると、いま改めて思われる次第です。

2000年2月
亘理 昭