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「斜陽館」を訪ねて 2007-06-25(第983号)

斜陽館前で斜陽館前で死亡者名死亡者名

五所川原まで来たら、折角だから、素通りにはしたくないところがあった。津島修治先輩(太宰治)の生家「斜陽館」である。1909年6月生まれの彼は、1930年2月生まれの私と学年で20年違いだから、旧制弘前高校では彼が7回生、私は27回生。彼は、私が生まれた昭和5年に卒業した。ただそれだけの因縁で、太宰文学の心酔者でもなんでもないのだが、彼が山崎富栄女史と玉川上水で入水自殺した昭和23年6月には弘前高校は全学ストの真っ最中。だから、当の弘前高校では、そのニュースにみんな白けて、実兄の青森県知事が気の毒がられ、同情が寄せられる状況だった。

弘前高校の全学ストは、関戸講師事件とも呼ばれ、生徒に評判の良かった左翼系の関戸講師が、ある日突然、休職を命じられたことから始まった。北朝鮮軍が突如南朝鮮への侵攻を開始して、一時、釜山近くまで占領して始まる朝鮮戦争の2年前だから、GHQが、ことさら日本国内の左翼運動に神経をとがらせていたという時代背景があった。

そういう時代に太宰治は情死し、一方、弘前高校全学ストの結果は退学2名、無期停学18名、合計20名の処分であった。そして、学校はこの処分発表と同時に夏休みの繰上げ長期休校に入った。鈴木清順(映画監督)・健二(NHKアナ)さん兄弟が卒業した後で、3年生は大学受験で忙しいから処分者は全員2年生。文甲・文乙・理科4の計6クラスから、きちんと3名ずつの停学処分で、理科4組からはMとOと私だった。

退学2名のうち1名は北大に転じて後に教授。先年の退官講演では関戸事件と当時の社会事情が主題と聞いた。やはり幾つになっても忘れられないらしいと思った。Mは東大農学部から農林省。床柱を背にする役人暮らしで健康を害し、昨年正月に亡くなった。晩年は会うたび私の健康が羨やましがられた。Oは無二の親友だった。海軍兵学校に入ってすぐ終戦の組。もう何年も会っていないのだが。

五所川原に行くことで、そんな昔々のことを、つい思い出してしまった。太宰のペンネームは、同期の太宰友次郎氏からの借用。そんなことになぜこだわるかというと、何かで、津島は「チシマ」と発音されるからとかいうアホな解説をどこかで読んだから。別掲リストは弘高卒業生名簿の7回生死亡者。生前は組別にバラバラでも、亡くなると50音順に並べられるから、ダとツが隣り合わせになって、本人の安直な借用ぶりが一目瞭然になっている。

因みに津川武一氏は関戸講師事件当時の青森地区共産党の中心人物。東大医学部出身の医者で、共産党代議士という異色の人だった。過ぎて見れば、すべて懐かしいことばかりである。