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インターネットが社会を変える(その6) 2010-11-15(第1066号)

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「高崎製紙の時代」に段ボール事業を始めた個人も企業も、ほとんど例外なくみな成功者でした。それが、「本州製紙の時代」が始まると、さらに二倍、三倍と加速する勢いで段ボール事業の富が膨らみました。経済がどんどん成長し、それにつれて、いまの言葉でいう「物流」が経済に輪をかけたスピードで拡大を続けると、本州製紙による原紙の供給、またそれと同時的に始まった大津板紙はじめ、ジュート系の原紙供給で原紙面の心配がなくなり、更に、「高崎製紙の時代」には段ボール会社の成長発展のカギが高崎製紙との取引口座を持っているかどうかだったことも過去の話になって、毎年20%も30%も増え続ける需要にただ応対するだけで段ボール会社の企業規模も収益もどんどん拡大する夢のような世界が広がりました。

当時を知る人は、私のような生き残りを除いて、本当に少なくなりました。一言で「転換需要」といわれましたが、要するに無包装が当たり前だった世の中がまず包装を前提とする世の中に変わって、ということは以前は木箱に詰めていたタバコも、みかんも、火薬も、繊維製品、新興の電器産業や即席ラーメン、和菓子もケーキ類も、醤油とか味噌、酒類、食用油、調味料、缶詰、海産物も、それぞれの事業者がみんな段ボールのことを知らず、初めての体験として段ボール包装の採用に乗り出したわけですから、段ボールを売る側としては、売ることには何の問題もなく、どう作るかの作ることだけが問題という時代でもありました。

例えば、東洋木材企業とか福岡製紙とか森紙業とか千代田紙工業とか、戦国武将のような気概を持つ段ボール経営者たちが北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、九州のようなブロックごとに段ボール工場を展開する雄大な構想を立て、それを次々に実現する有様を、段ボール専門紙の私たちは固唾をのんで見つづけたものでした。

いまでは到底信じられない事柄ですが、段ボールを作るための基本になるコルゲータも、毎年、20台とか30台も新設されました。ですから、私などはコルゲータの新増設記事を書くだけで毎回の紙面のトップを何の苦労もなく片付けられた状況で、論より証拠、本紙サイト(略称=段ネット)のPDF集「業界の歩み」に段ボール事報特別版01、02としてそれらの記録をまとめてありますので、ご覧下さい。丹羽鉄工、内田製作所、磯輪鉄工(ISOWA)、三菱重工、レンゴー系の浜田印刷機械の5社がメインのコルゲータメーカーでしたから、これらの会社との情報交換に靴底をすり減らす毎日でもありました。

その頃は、市況問題はなにもなかったわけですが、この設備投資ブームの裏側で勿論、段ボール原紙の設備投資も進行しておりました。得能さんの発明されたウルトラフォーマー抄紙機が持てはやされた時代でもありました。そういう時代の一つの区切りを越えたところに、本州製紙の時代の前半の部分にはなかった、重苦しい時代が待ち構えていました。

いうなら、「設備過剰時代」でした。需要の量よりも生産される量が常に多い時代となって、「段ボール箱の価格はユーザーの専権事項」なのに、それを何とか売り手の方に取り込めないかという悪戦苦闘が始まりました。「不況カルテルの時代」でした。(つづく)