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レンゴー創業100周年を祝う 2009-04-15(第1028号)

レンゴー(株)では4月13日午前11時半から、大阪市中之島「リーガロイヤルホテル」で盛大な創業100周年記念祝賀会を行った。参会者は1千人を遥かに越える多数で、業界でもかつてない盛儀であった。そして、この日は、井上貞治郎氏が1909年(明治42年)4月にレンゴーの前身である「三成社」を設立、日本で初めて段ボール事業を開始した記念の日であると同時に、戦後の大量消費時代に大発展を遂げた今日の「段ボール産業」そのものの創始記念日でもあって、「次の100年」への思いを新たにする機会ともなった。

いまでこそ「段ボール」を知らない人はいないが、戦前の日本では、この便利な包装材のことを知っている人は非常に少なかったようである。それが、戦後、アメリカの駐留軍の物資輸送がすべて段ボールの外装箱で行われていたところから、一般国民にも広く有用な箱材料との認識が深まり、同時に段ボールを生産する機械の製造基盤が初期的ながらレンゴーなど先進企業のおかげで整備されていたこと、また日本政府の森林資源有効利用のための後押しが加わって、昭和20年代後半から30年代、40年代にかけて世界史にもまれな大発展を遂げることとなった。

段ボールの発祥は1856年、イギリスのエドワード・チャールズ・ヒーレイ氏とエドワード・エリス・アレン氏の二人が特許を得たと記録されている。ただし、この用途は帽子の汗取り用に波形の紙にして使用されたものとされる。それが、15年後の1871年にアメリカのアルバート・L・ジョーンズ氏により、紙製の緩衝材として使用された。これはガラス瓶やランプのホヤを保護するためのもので、ライナー無しの波段だけのいわゆる"繰りっぱなし"だったという。

しかし、この状態だとすぐ段が延びてしまって使いものにならないため、片面だけライナーを貼り合わせた片面段ボールが1874年、アメリカのオリバー・ロング氏により開発され、この特許によって翌1875年にロバート・H・トムソン氏とヘンリー・D・ノリス氏がそれぞれ段ボール製造に乗りだし、のちに2人が合併して「トムソン&ノリス商会」を設立、さらに後続企業が設立される中で、ロバート・ゲイヤー社が今日のA式段ボール箱を1894年ごろから製造、販売されるようになったとされる。

三成社による日本での最初の段ボール製造は、片面段ボールによる電球のホヤの保護用サックなどからスタートしたが、それにしても、そういう海外事情から遅れることわずか10年余りでキャッチアップされたことになり、井上貞治郎氏の慧眼が改めて思われる事情ともなっている。

戦後の日本で段ボール推進の中核団体となったのが昭和22年11月7日、熱海・水口園に全国から段ボール企業29社が参集して結成された「段ボール協会」。当時は紙資材の配給・割当制の時代で、その受け皿としての紙器指定生産団体の中で、段ボール事業者の言い分がなかなか通らない事情だったために、東京・名古屋・大阪の各地に段ボール産業推進機関の設立機運が盛り上がり、その結果としての設立総会であった。井上貞治郎氏が創始し、以後、逐次各地に広まっていた段ボール事業者の全国的な組織化の夢が達成された日だった。

更に画期的なことは、日米開戦4年前の昭和12年に、井上貞治郎氏が段ボール機械購入のためアメリカを訪問、その旅の途中で、立ち寄った会社がステインホール社だった。同社の澱粉接着法の特許は、戦時中、日本での特許期間が空白状態となっていたため有効で、戦後、同社から改めてレンゴー井上貞治郎社長のもとに同特許権の購入依頼が寄せられ、同社が応諾の意向だったところ、通産省の斡旋もあって、段ボール業界全体として譲渡を受けることになった経緯であった。それが昭和31年のこと。当時は珪酸ソーダ貼合だったから、そのままでは青果物包装などは飛んでもない事情だった。

記者は、昭和30年10月からこの道に入り、一番最初に取材に駆け回ったのがステインホール法。その後の50余年の取材活動を通じて言える第一が、レンゴーが常に段ボール業界トップの中心軸であり続けた歴史のことであるに違いない。