特大


海外取材報告

パリ、ブダペスト、ロンドン

ハンガリーの苦難の道

みなさんが今日、会社の正面から入って、一番最初に歩かれたところがフォイルでカバーされていましたが、あのあたりに第2番目の工場がありました。工場内の設備の移動に、これからもかなり時間がかかります。いま、同時進行で生産もやっているし、工場改造もやっているし、30社ぐらいの色んな企業の人が働いておりますので、そういう工事進行中のところを、皆さんに見ていただくことになります。ですから、工場内を見学される際には、あちらこちらが掘り返されていますので、足もとには十分気を付けていただきたいこと、また工場全体がホコリっぽくなっておりますので、その点、どうかお許しを得たいと思います』。

ドナパック社の設立は1923年。オルトさんの説明にある通り、第1次大戦後に、製紙設備を輸入して操業を開始したのが最初。現在、資本金は150億フォリントとなっている。訪問したチャペル工場は写真に見るとおり、本来は製紙工場だけに、貨車の引込線用レールも敷設した非常に広大な敷地スペース。その一角に現在、建坪10,000平方mの段ボール工場が設置されており、また従来の第2工場の設備等の集約・移転も含め、工場レイアウトの抜本的変更・合理化工事が進行中だった。

因みに、従来のラインはコルゲータと並行にストックヤードがU字型に設けられ、更に製函ラインもストックヤードと並行してU字型に並んでいたが、これでは中間の搬送距離が長く、不合理で、このため、変更後はコルゲータと並行して第一トランスファー、ストックヤード、第2トランスファーがU字型に設けられ、第1トランスファーとストックヤードの流れ方向には、そのままシート売りの専用出荷口を設け、更に第2トランスファーとそれぞれ直角に枝分かれするL型に製函ラインを順次配置して、横出しした製品を製品トランスファーラインで搬出口まで搬送する。訪問時には、まだこの工事が半ばの状態。生産と並行して工事を進めるための在庫の増大などもあって、工場内の至るところが掘り返され、かつ製品在庫がヤマになっているという、本来なら、あまり外部の人間には見せたくない状態だったのだと思われた。

そのように、目下はノーマルな状態ではないが、段ボールの年間生産量は最大1億1,000万平方m、平均9,000万平方m。従って月間生産量としては平均750万平方m程度と見られる。フルート別の生産割合はCフルートが35%、Bフルート40%、Eフルートが20%、CBWが5%で、Eフルートの割合多いこと、ダブルが少ないことが注目された。Eフルートの生産には、60Gシングルフェーサによる迅速な段ロールカセット交換で、自由にフルートチェンジが出来ることが大きく寄与している。また、このフルートチェンジは、ヨーロッパ市場全般に共通する特徴で、コルゲータは全てフルートチェンジが前提の形。その点、日本との違いが強く印象づけられたところだった。

チャペル工場に設置の三菱コルゲータは最高速度300m/分だが、現在、2直運転で平均194mが実績値のようだった。オーダー替えはかなり多く、1直当たりドライエンドが40〜50回、ウエットエンドで12〜13回という。また、上述のBFとEFとのフルートチェンジは、1日1回の割合で、段ロール交換時間は10分程度。また、平均オーダー長は1オーダー当たり300m程度だが、小さいロットも多くなって、最小オーダー長は150mという。原紙は全て自社生産。抄紙機のマシン巾が4200mmのため、通常は、使用原紙の最大紙巾は2100mmとしている。

製函ラインは、フレキソグルアがエンバ2台、印刷機がボブスト4色機1台、ISOWA3色1台、打抜機がボブストのオートプラテン2台とサイモンのロータリダイカッタ1台など。

ただ、各製函機とも給紙には自動給紙装置が付いていなかった。これは、オーナーの本国オーストリアでは、ワークシェアリングの考え方で、低所得者対策として、産業界に広くマニュアルハンド業務も残す労働政策が採られており、それをドナパック社も採用、必ずしも自動化一辺倒ではないことが説明された。

このほか、コブデン・チャドヴィックのプレプリント・ライナー印刷機があって、印刷用ロールも専用架設場所に多数あった。そのため、プレプリントの美粧箱需要が相当活発な印象を受けて、オルトさんに訊ねたところ、「この印刷機はそれほど働いていない。それより、インキメーカーがテストさせてくれと言って、頻繁に来るので、彼らのテスト用の印刷機みたいになっている」と笑って、肩をすくめた。

工場見学後、再び会議室に戻り、質疑が行われた。
改革前、同社は紙及び板紙の製紙部門と、段ボール部門、印刷・製本部門ほかいろいろな部門を持つ総合カンパニーだったが、改革後は段ボール原紙及び段ボール事業部門だけを残して他の部門は全て整理、これと並行して5,000人だった従業員を1,300人に整理、工場・人員のスリム化と同時に、新しい機械を導入して生産性を高め、これが非常に成果をおさめていることも説明された。
最後に、MCMCヨーロッパ社長兼CEOフレッド・H・メンジー氏が下記のように挨拶、また三菱重工から記念品として日本人形「道成寺」が贈呈された。

▽メンジー氏の話
『私が初めてドナパック社に三菱コルゲータの採用をお奨めしたのは、先ほどのお話の通り、1986年のことです。最初にご挨拶されたボロスさん、あの方が、世界銀行に通すために非常に努力された方です。三菱と、アメリカおよびヨーロッパのコルゲーターメーカー3社との激しい競争の中で、その時の市場条件は、もちろん今とは完全に違っていましたが、それでもハンガリー人たちは、もうその当時から、将来に向けて、より生産性の高い設備の導入を目指しておりました。
また、近い将来に改革と変革があることを予想していましたので、変革が始まると、東欧諸国の中でも、ハンガリーで一番抜本的な変革が生じました。それはやはり、ハンガリー人の哲学・思考・考え方によるものではないかと思います。そして、いまや新しい投資の芽も膨らんできましたので、ハンガリーの人々はやはりもっともっとお金を稼ぐ新しい仕事師ぶりを発揮し続けると思います。そのことについて、私はハンガリーの人々に改めておめでとうと言わなければならないと思います。
そして今日、日本の皆さんに終始、誠意あふれる説明をされたオルトさんも、今後とも実り多いプロデュース関係を得られると思います。今日のこの会合では、最後までハンガリー語と日本語だけの対話に終始したため、私には、皆さんのお話の半分も理解できませんでしたが、皆さんが折角、ハンガリーに来られたからには、景色や建物だけを見てお帰りになるのではなく、ぜひハンガリーの歴史・文化の面も研修してお帰りいただきたいと念願します。
ハンガリーは、長い歴史の中で、サンドイッチのように多くの強国に挟まれ、生存のために戦わざるを得なかったことが何度も何度もありました。しかも、最後までたゆまず、必死になって戦った、そういう長い歴史と文化の説明を、大きな関心をもって聞かれ、理解して帰られるよう希望する次第です。皆さんの欧州旅行が、実りの多い、快適な旅でありますようお祈りして、私のご挨拶といたします』。