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韓国1985年(昭和60年)

1985-01-30(第298号) 5年で3.6倍、驚異の伸長たどる大栄包装

記者は(昭和60年)1月24日午前10時成田発のJAL便で正午、ソウルに着き、同日午後、大栄包装(株)金昇武社長(韓国段ボール包装工業協同組合理事長)にインタビュー、翌25日、富平板紙(株)餅店新工場を訪れ、試運転中の三菱コルゲータを見学、同社韓錫(ハン・スック)理事に今回の計画の概要や最近の段ボール事情をうかがった。
また、三菱重工代理店の善一商事金昶震社長、三菱三原から出向の技術者たちと共に運転指導中の西菱機器高瀬敏政次長、そのほか韓国業界の方々数氏に面識を得る機会があった。以下は、27日午後、雪のため定刻を1時間半遅れたKAL便で帰着するまでの短かい取材旅行で、記者が知り得た最近の韓国段ボール事情である。

韓国経済は、わが国の場合と違って、第1次オイルショック後も実質GNPで2ケタ(73〜78年平均11.0%)の高度成長を続け、これにともなって、段ボール生産も73年の2億0,990万6千平方mから75年3億0,907万1千平方m、77年4億9,049万1千平方m、79年8億0,214万4千平方mと驚異的な伸び率で拡大、成長を遂げてきた。
しかし、第1次オイルショックを軽く乗り切った韓国経済も、第2次オイルショック後の80年には第1次経済開発着手後(62年以来)初めてのマイナス成長(実質GNPマイナス6.2%)を記録、81年にはウォン切下げを軸にした輸出回復やインフレ鎮静化に伴う消費の回復、さらに80年に冷害のため前年比22%も落ち込んだ農業生産が平年作に戻ったことなどが寄与して、実質GNP成長率7.1%となり、80年の落ち込み分は取り戻すことができた。
しかし、同年秋から82年にかけて世界不況の長期化の影響により輸出の伸びが急減、内需の不振も加わり、韓国経済全般に再び停滞感が広がることとなった。

以上が、韓国段ボール産業界を襲った50数社倒産の嵐の背景である。今回新発足の韓国段ボール包装工業共同組合の正式名称は「韓国コル板紙包装工業協同組合」である。ハングル文字の「コル」はコルゲートのコルではなく、韓国語で畑を耕してできる畝(うね)や溝(みぞ)などを指すという。コル板紙(コルバンジー)に包装をつけ加えて、「包装材としての段ボール」を意味するわけである。
日本では、ボードを訛ったボールに、レンゴーの創始者であり段ボール産業の生みの親、故井上貞治郎氏がごく簡略に「段」の字をつけ加えて命名されたおかげで、後代のわれわれも字数、画数の少ないこの簡便用語の恩恵にずい分あずかっていると思われたことであった。

金昇武理事長の横顔は、韓国製紙(印刷用紙)を創業以来育て上げた人であり、また大韓パルプ副社長に転じて、同社を今日あらしめた人でもあると聞いた。韓国経済がはじめてマイナス成長に陥った1980年に、大韓パルプの既設のコルゲータ(日本製)を同社から譲り受けて大栄包装(株)を設立、以来5年間で初年度(80年)売上高24億ウォンから昨84年87億ウォンへと5年で3.6倍、年率平均30%もの成長を成し遂げてきた驚異の経営者である。
韓国段ボール工業協同組合が昨年11月、発足の運びに至るまでには、業界環境をめぐる様々な問題や、政府商工部の承認が仲々得られなかったこと、および特に役員人事で合意が得られず、前後7回にわたって流産を重ね、7回目に「金昇武理事長」の出馬で漸く全員の最終合意が得られたと、その間の経緯に詳しい人が語っていた。現在組合員数は35社。一方、段ボール企業数は韓国全土で大手、中小合わせて160〜170社といわれ、このほかコルゲータを持たない製函専門の企業が300社ないし400社ほどあると推定されている。韓国段ボール工業協組は、その名称通り、大資本系統や原紙一貫などの大手を除く中小段ボール企業の組合。しかし、業界安定を図る上では、わが国と全く共通の事情がある。

韓国業界は、いま過去5年の業界活動の空白を埋めるかのように、"燃えている"とも見受けられる。各地区で開かれた団合大会においても、そうした熱気が強く感じられたようである。現在組合員35社は、2月27日の総会には少くとも65社ぐらいまで急膨張する見込みである。中小段ボール企業が、まず協同組合の旗のもとに団結すること、それが当面の第一課題であるのはいうまでもない。
「しかし」と、金理事長は語った。「われわれ中小の専門メーカーだけの大同団結では業界安定、発展の上でなお問題が残る。全国に300社以上ある製函企業との連携を組織上はどう考えたらよいのか、また強力なパワーを持つ大手といえども、市況安定を願う立場はわれわれと変らない。そういう意味で、日本の業界の経験や実情にも強い関心を持っている」。

複両面段ボール(ダブル)が全体の60%を占める韓国で、このダブルをシングル換算しての昨年の推定生産量が15億平方mとされる。日本式にシングル換算なしでいうと、約10億平方m前後だろう。とすると、日韓両国の段ボール業界には、一つの面白い暗合が生まれる。1964年の「東京オリンピック」を4年後に控えた60年(昭和35年)のわが国の段ボール生産量は9億7,862万平方mであった。「ソウル・オリンピック」を4年後にひかえた韓国の昨年生産量が10億平方mである。日本の場合、その後、東京オリンピックの年の段ボール生産は21億1,500万平方mに達した。

いま、韓国では、オリンピックを控えて国民の士気が盛り上がる一方、83年以降、韓国経済はすっかり立ち直り、再び高度成長路線を走りはじめた。段ボール需要はいま、年率少なくとも15%以上の伸びが確実とみられている。日本で段ボール産業の高度成長の引き金をひいた転換需要は、当時の日本と同様、ヒモ・ワラ・ムシロ・木箱、その他粗包装の形で、まだ"寝たまま"の状態と、小売店頭の包装状況等から観察された。
暗合はまだある。わが国で初めて2000mm幅コルゲータが凸版段ボール鳩ケ谷工場で稼動したのが、東京オリンピックの二年前。次が2200mmの日本紙業松戸工場だったと記憶するが、それが東京オリンピックの年、1964年であった。「マシン幅2m級」のマシンが、ソウル・オリンピックを3年後に控えた韓国でも稼動する。富平板紙餅店工場である。

以上で、あるいは"歴史の暗合"に余りこだわり過ぎているかも知れない。しかし、確信をもって言えると思うのは、以上の状況が韓国段ボール産業の「テーク・オフ」の接近を意味することだろう。日本で起ったことが、韓国でも必ず現われるに違いないと思われた。