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韓国1985年(昭和60年)

1985-02-28(第301号) 「一番羨ましく感じたのは日本の真っ直ぐな樹木」

「成田空港が近づいて、機が高度を下げ、雲間を抜けて下界が見えてきました。あちらこちらの村落を取り囲むように、美しい森がありました。樹木は、韓国の木と違って太く、真直ぐに天に向って伸びていました。私が日本で一番羨ましいと思ったのは、あの美しい木です」。善一商事金昶震社長は、そう語った。富平板紙(株)餅店工場見学の帰路、車はソウル・釜山を結ぶ高速道路を走っていた。窓外には、ソウル郊外の大規模中層住宅群が林立していた。しかし、見渡す限り林と呼べるほどのものはなく、潅木がまばらに生えている程度だった。

「韓国では、ご承知の通り1945年の光復後、更に5年後に動乱が起り、国土が甚大な戦禍を蒙りました。そればかりでなく、北からのスパイ潜入に対して、隠れ家をなくすためにも木が随分切り払われました。しかし、ここ数年来、美しい国土を建設しようという政府の指導のもとに、全国で植林活動が盛んに進められています。ただ、韓国の山は下が岩盤で、努力の割には木がなかなか育たないのです」と。車の助手席から後向きに身を乗り出して語る金昶震社長に、記者は「愛国」の魂を強く感じたことであった。

「愛国者」という言葉を使うなら、韓国の人々は、老若男女を問わず、みな愛国者ばかり。大栄包装(株)金昇武社長にも、富平板紙(株)韓錫理事にも、言葉の端々に、まぎれもない「愛国」の心を記者は感じつづけた。
話題が少しそれてしまうが、厳寒のソウルの街角で、ふと思ったことがある。それは、街の要所で警備の任務についていた若者達の表情をみて思い出した「言葉」である。警察か、軍の関係なのか、結局確かめずに終ったが、ツバ広の、眉のあたりまで隠れる帽子、長いダブダブの外套をまとったその若者たちは、たぶん二十才前後だろうか。みな若々しく、凛々しく、可愛いかった。その「凛々しい」という言葉を、記者は長い間忘れていたように思われたのである。現代の、日本の若者たちになくなった"資質"といえる凛々しさを、ソウルの街角で、韓国の若者たちの表情に見た思いだった。

日本には、「愛国」を売り物に、スピーカーをつけた車で町中をがなって回る人々がいる。だが、果してわれわれは彼らに愛国の魂を感じるだろうか。ソウルの街で日本を考えたことの一つは、それであった。
「韓国人は、日本人以上によく働く」といわれ、そういう話になると、「近ごろの日本の若者達はマイホーム主義だ、レジャーだと、さっぱり働かなくなった」と、反語的に歎かれる風潮もある。韓国の段ボール工場では、1日拘束12時間、昼勤・夜勤の週替り二交替制が普通のようだ。拘束12時間のうち、食事のため一時間半休憩。つまり2シフトで計21時間稼動、三時間休転という。製紙工場は、韓国でも8時間、三交替制だが、段ボール工場の三交替は二、三始まったばかりという状況のようだ。

韓国には「兵役の義務」がある。日本人が、戦後アメリカからプレゼントされた平和憲法と、今年でもう40年にもなる平和の歳月の中で、すっかり忘れ去ってしまった"国民の義務"である。富平板紙韓錫理事にインタビューしているとき、氏が「韓国国民には三大義務があります。日本は幾つですか」と訊いた。記者は、とっさには返事が出なかった。「えーと、納税と、教育と。さて教育は義務教育とはいうものの、いまどき義務教育を義務だと思う親があるだろうか」などと余計なことばかり考えて、われながら頼りなかった。氏は、意地悪で訊いたのではない。要するに、兵役の義務に関する問題が、日本の企業にはないが、韓国の企業にはあることを想起させようとして言ったことである。
韓国の青年は、兵役年齢に達すると「定期軍」に約三年間徴兵、訓練される。大学生は、卒業後、約二年半に短縮された期間、定期軍に入る。これが終ると「予備軍」に編入され、更に30カ月間、毎月3日〜7日間、訓練を受けなければならない。そのあとは「民防軍」に編入され、非常の場合に備えて、随時教育・訓練がある、というのが韓国の兵役制度である。

だから、段ボール工場でも、どこの工場でも、マダラ模様の野戦服を着て作業している人が珍しくないし、「予備軍」の期間中は、割合ひんぱんに訓練への参加で工場は欠勤になる。それを韓錫さんは「国民の義務ですから」と言ったわけである。
韓国の人々からすれば、日本人は、こと兵役義務に関しては、まるで"月世界"の住人のように見えるに違いない。「日本人」である記者には、礼儀上も、あまり立ち入った質問は出来ない思いだった。
とにかく、日本の段ボール企業にはない負担、広くいえば日本の産業界が労働の面で全くゼロで済んでいる兵役義務上の負担を、韓国のあらゆる産業、企業、個人が負い、黙って耐えていることが改めて思われたことであった。

前号で「日本は恵まれ過ぎか」と述べた。また、日本の段ボール産業のテーク・オフ期と比較して「韓国の段ボール産業は恵まれていない」とも述べた。原紙の品質上の問題などにも触れたが、要は資源であろう。森林資源の不足、主原料の自給率の低いことが、テーク・オフ段階にさしかかった韓国段ボール産業のグローバルな解決課題として、今後、一層鮮明に浮んでくるに違いないと思われた。
韓国の化学パルプ工場は、東海パルプが唯一のもの。従って、83年のケミカルバルプ総供給量59万tのうち45万t、76%までが輸入、GPを加えたパルプ全体74万5千tのうち約48万t、64%がすべて輸入である。
更に、古紙の供給面でも、83年の古紙合計125万8千tのうち45%の57万4千tが輸入だし、段ボール古紙48万tのうち22万t、やはり45%以上を主に米国からの輸入に依存している。

本州釧路工場が稼動した当時、極めて豊富な風倒木があった。さらにまた、当時の日本も"資源不足"に変りはなかったが、大昭和製紙の勇断を先鞭として、北米西海岸で利用されないままになっていた廃材チップを、チップ専用船で輸送、これを原料に日本でパルプ化するパルプ・製紙の一貫生産の拡大がはかられ、現在は数10隻の専用船が就航するというダイナミックな展開をみせるに至っている。
また、戦中の荒廃から40年の歳月を経て、戦後植えられた木もよく育ってきた。植林は全国的にスギ、ヒノキの建築用材が主で、紅葉の美観はやや損なわれ、また今年は特に杉の花粉が昨年の三倍もあるとのことで、アレルギー体質の人には辛い"花粉公害"にもなっているけれども。

日本の段ボール産業は、こうして昨年は国産材・輸入材を合わせ三千万立方m以上のパルプ材を使用して国内生産されたパルプ・紙と、それを主たるベースに発生する古紙を主原料とした段ボール原紙を基盤に、ほとんど完全自給の原紙を日本国内だけで調達できる事情にある。
丸太から発生する廃材も、チップ、パルプ、輸入原紙も、国内に入れば段ボール原紙にとっては国内産の原料に早晩変って循環・還元されるわけだから、森林の蓄積量は別においても、そういう意味では日本には「資源がある」わけである。

いまはもう、わが国でもパルプから一貫のクラフトライナー工場が新たに生れる可能性はないだろう。国際商品としての競争力上、国内では困難であるばかりでなく、古紙系原紙との市場での競争上も、既存のパルプを大事に使い、古紙を有効に配合して、事実上、純粋な意味でのクラフトライナーは、国産ではもはや無くなってしまっている。

というように、日本と比較して、韓国の段ボール産業は「ないことづくめ」のように見える中で、「ある」のは最も肝心なもの、「需要」だろう。年率10%以上のようなペースで拡大する市場は、どんな供給国にとっても一層魅力を増してくるに違いない。かっての日本がある意味でそうだったように、無資源国・韓国の段ボール産業も、需要の拡大につれて「韓国型」の発展経路を切り開いて行くことと思われた。

韓国の段ボール原紙メーカーが100社もあると聞いて驚いたが、韓国の製紙業界は大企業、中小企業別に、次のような構造になっている。
▽新聞用紙=大企業2社、中小企業3社、計5社▽印刷用紙=大企業7社、中小企業2社、計9社▽クラフト紙=大企業3社、中小企業1社、計4社▽板紙=大企業5社、中小企業105社、計110社▽その他=大企業2社、中小企業10社、計12社▽合計=大企業19社、中小企業121社、計140社。
韓国の板紙の83年生産量は段ボール原紙58万9千t、白板紙28万8千t、その他6万9千t、計94万7千tで、そこに大企業5社、中小企業105社である。構造上の問題が、今後の発展経過の中で同時並行的に生じそうである。

ところで、本稿はこれまで大栄包装金昇武社長、富平板紙韓錫理事、善一商事金昶震社長の三氏とのインタビューを軸に、いわば三氏をプリズムとした設定で韓国段ボール産業の最近事情をあれこれ述べてきた。だが、韓国と日本との関係における最も肝心な問題については、何ひとつ記述していない。それは「心」の問題である。本紙1月30日号の最初に述べた通り、記者はわずか3日間、ソウルに滞在しただけである。従って、上記三氏とのインタビューを軸にした話題は、もうほとんどすべてお伝えし尽したように思える。

韓国旅行中からずっと考えていたことだが、肝心な「心」の問題をヌキにしては、やはりどんな経済談議も空しいというのが、記者の感じ方だった。そして、また、帰国後にたまたま面識を得たさる高名な韓国言論人のご意見も同じだった。
そういうことから、この連載をもう一回延長し、次号を結びとしたい。