特大


海外取材報告

韓国1985年(昭和60年)

1985-03-30(第304号) 不幸にも歴史が実存

朝鮮日報「克日の道」

さる1月下旬、取材のためソウルを訪れた記者は、「韓国段ボール産業の現況」、のタイトルで最近の韓国段ボール業界の話題を本紙に連載した。当初は2月28日付の(その4)で終る予定だったが、書き進むうち、日本と韓国の間柄の中で最も難かしく厳しい「心」の問題については、弊紙のような段ボール専門紙といえども、ペンを持つ以上、避けては通れない事柄のように思えてきた。幸い、戦後40年の歳月を経て、いま両国民の間にはそれぞれ「日韓新時代」を構築しようとする雰囲気が次第に高まって来つつあるようにも感じられる。以下、上記の標題の趣旨から少し外れるが、隣国同士、相互の国民感情が今後より良く改善され、信頼感が深まることを願う市井の一市民の立場で、思いつくままを述べ、この連載の結びとしたい。

気のせいか、最近の日本の新聞に「韓国」にからむ話題がひんぱんに載るようになったようである。以前は、韓国関係のニュースといえば「金大中氏」といった印象で、事実、元特派員氏の雑誌への寄稿文などを読むと、そうした「新聞に載らない記事」の話が、愚痴ともつかずたびたび書かれていたりもする。それからまた、韓国に関する記事の取り上げ方にしても、妙にうがった、どこか意地の悪い論評の仕方があったような気もする。それが大分ストレートな、客観的な書き方に変ったように思える。たとえば、最近のビッグ・ニュース「中国魚雷艇」間題にしても、これは韓国と中国の問題だが、そういう場合、日本の新聞はとかく中国の肩を持った書き方が多かったように思えるのに、今回はそういう臭みを感じさせないストレートな記事が一般だった。逆に、「中国の若者はクールな受け止め方」だとか、「黄海で魚雷艇が行方不明と聞いたとき、これは亡命事件だなと思った」とか、「だれでも西側の豊かな生活にあこがれているからね」とかいった中国での取材記事が載る。中国と韓国とで、いつも中国が比較優位ではなくなっている。

魚雷艇が終ったら、次は毎日夕刊にデカデカと「特攻隊員に朝鮮人がいた」との見出しで、朝鮮人を父に、日本人を母に持った作家、飯尾憲士氏が書いた四百十枚のノンフィクションロマン「開聞岳」(副題・爆音にアリランの歌が消えて行く)の紹介。『飯尾氏は「朝鮮人特攻隊員の心情を書いたものはこれまでなかった。この作品で代弁したという思いはある。韓国から40年ぶりに日本語を書いたという便りがきた。またそれが上手なのが悲しくなりましたね。朝鮮人から言葉を奪い、名前まで奪ったのです。許せませんね」と話している』と紹介している。

日本の新聞が、何かタブーのように避けて通ってきた感じのする事柄が、このごろストレートに書かれはじめている一例だろう。もう一つ、その翌日。「全斗煥政権はクーデターでできた政権だから認めないとは、冗談がきつい日本共産党の対韓政策。武力革命以外の方法でできた共産主義政権が世界にいくつあるの?」。

日韓問題の取上げ方がこれまでと違うのは韓国も同様。中でも、韓国の代表的な民族新聞・朝鮮日報は一昨年一月から「克日の道・日本を知ろう」の表題で約一年間にわたって連載特集を行ない、大きな反響を呼んだ。執筆者はいずれも日本に詳しい李度行(朝鮮日報中日特派員)李健(在日著名評論家)金両基(民俗学者・哲学博士)李承牧(統一日報論説主幹)の四氏だった。朝鮮日報のこのキャンペーン特集は、韓国大統領の公式の初訪日にみられるような、韓国の"歴史的転機を刺激した"とされるが、日本でも、この四人の執筆者それぞれの邦訳により、朝鮮日報編「韓国人が見た日本」のタイトルで、サイマル出版会から昨年九月刊行されている。

この本を、記者は、韓国事情の連載を書くため日本製紙連合会板紙部で韓国関係のデータを補強取材していた折、飯塚康夫同板紙部長から「ぜひ読みなさい」と勧められ、拝借した。その日、家に帰って読みはじめたら止まらなくなって、ついにひと晩徹して読み通した。ぜひ一読をおすすめしたい。同書のまえがきに、朝鮮日報崔乘烈編集局長が次のように書いている。
『韓国人にとっての日本は、"豊かな国"として憧憬の対象にもなり、あるいは"掠奪者"として呪詛のシンボルにもなるというように、きわめて整理されない"葛藤の国"に終始してきた。昨日の日本と今日の日本を、そしてそれをつなぐ日本の意識の脈を提示し、説明する書籍一冊すら出版されることがなかった。朝鮮日報が83年に「克日の道」シリーズを始めたとき、克日とい表現について多くの論議があったという事実一つからだけでも、今日の韓国に内在する日本に対する意識の幅がいかに広いかを知ることができる』。
『日本の韓国に対する意識と意図がどのようなものであれ、われわれは日本と争うにせよ、日本とともに生きるしかない。いずれにせよ、もともと両国の関係は同じ根から分かれた幹である。そうであるなら、われわれは日本を知らねばならない。われわれが不幸な歴史に執着して日本を遠ざけるほど、その不幸な過去を繰り返さざるを得ないという宿命的な認識のもとに、日本がどのような国であり、われわれにとってどのような意味をもつ民族なのかを把握せねばならず、日本の長所と短所を見抜く眼力が必要である』。

この本を読んだのがたまたま、これから韓国のことについて何か書こうとしていた時期だったから、記者にとって印象は誠に鮮烈であった。さし当り、韓国の段ボール業界の最近事情について書いた掲載紙は、大栄包装(株)金昇武社長、富平板紙(株)韓錫理事(3月2日、同社代表理事に就任)、善一商事(株)金昶震社長ほか、ソウルでご厚遇いただいた方々にもご覧いただくことになる。どう考えても、記者には韓国の事柄に関する猛勉強が必要な状況であった。
あちらこちら、本屋に飛び込んで韓国関係の本を探し求めた。しみじみ思ったのは、韓国に関連する出版物の余りの少なさである。本屋の店頭には、あたり一面、誠に大量の本が陳列されている。しかし、「韓国」に関連するものはなかなか見つからない。多くの本屋では、大がい何も見つからないか、あっても二、三冊、多くて四、五冊であった。実際に、かなり出版はされている。しかし、目につくところにはないのである。

また、そんな或る日、弊紙の印刷をお願いしている新聞印刷会社の丹羽専務と話していて、ふと思いついて「前に"統一日報"の名前をここで聞いたことがありますが」と訊ねてみた。なんと、「統一日報ならショウボクさんですね。先日もひょっこり見えましたよ。昔からよく存じ上げていますから、ご希望ならいつでもご紹介します」とのこと。
10年以上前に、当時、まだ週刊発行だった統一日報を印刷していたのが、弊紙の現在の印刷会社というご縁であった。記者は、一週間ほど考えた。そして、とにかく記者も物書きのはしくれだから、極めて強烈な印象だったあの本の四人の執筆者の一人、李承牧(イ・スンモク)さんに敬意を表しに行こうと決心し、紹介をお願いした。
李承牧さんは東京で生まれ育って、戦時中、韓国に疎開、戦後、ソウル大を中退、日本に戻って東大経済学部卒業という経歴の人である。

何度も電話のべルが鳴り、何度もメモ書きを持った女性が出たり入ったりする忙がしい雰囲気の元赤坂の本社論説主幹室で、結局、1時聞半ほどもお話をうかがった。
「韓国の大統領が公式に日本を訪問したということは、これは何といっても大きなことなのです。全大統領が陛下と会見した場面を私もテレビで見ていました。訪日については、行くべきではないという意見が韓国では多かったのです。だから、どんな様子で会うのか、韓国民は誰もが気にして見ていたと思います。
高齢の陛下が入口から歩いて来られる。そのとき大統領が急いで近づいて、陛下をいたわるように手をさしのべながら挨拶された。あれを見て私はよかったと内心ほっとしました。韓国は古来、長上の人を敬い、大事にする国。天皇に対する思いは色々あっても、あれが本当です。韓国民はみなそう思ったはずです。全大統領が陛下に会われて、韓国の歴史は変りました」。

李承牧さんは、またこうも語った。「毎晩、NHKテレビが終ると、日の丸が画面に映し出され、君が代が吹奏されますね。あれを聞くと私は色んなことがいっぺんに思い出されて耳をふさぎたくなるのです。だから、その前にチャンネルを切り替えるか、スイッチを切ってしまいます」。「日本」及び「日本人」が、この高名な韓国言論人の心に残した傷あとの深さを思い知らされたことであった。
氏は最初、段ボール専門紙の記者が、自分の新聞を職業的に制作する上で、なぜ「心の問題」にまで関心を持ち、話を聞きに来るのか怪訝そうであった。しかし、話をするうち、韓国の人々の目にさらされる紙面を作る上で、記者がとにかく一生懸命なのだということは理解されたのであろう。忙中の時間を、あれほど長く、熱をこめて話されたのは、そのせいだと記者は信じ、感謝している。

記者は、終戦時、15歳の少年であった。もちろん、日本政府による朝鮮併合、植民統治に責任もなければ、韓国の人々が必ず話題にする中世の豊臣秀吉による二度の侵略と極悪非道の残虐、その他もろもろと無縁である。先ごろの総理府調査によれば、日本の総人口1億2,200万人のうち、昭和生れが1億人の大台を突破したという。昭和元年生れの人が、終戦時にやっと20才。現在の日本の人口の大半が、過去の日本と韓国の歴史に対して"責任"がないことも確かである。
だが、しかし、自分自身の心の中を探ってみて、韓国及び韓国人に対して大がいの日本人なら誰でもみな持っていると思われる、この何とも名状しがたい"後ろめたさ"は一体何なのだろうか。不幸にも「歴史」が実存していて、韓国人にとって日本及び日本人は「内なる敵」となり、日本人にあっては韓国及び韓国人に「内心ひけ目を感じる」という、両民族間の悲しい対照になっていると記者には思われるのである。

李承牧さんは、別れぎわ、こう語った。「段ボール専門紙の人が心の問題まで考えるというのは、まさに日本の底力ですね」と。記者は思わず照れて、赤面した。が、同時に胸を打たれるものを感じた。日本人は果たしてこんな表現ができるだろうか。よほど強烈な民族愛、憂国の心情がないと、つまり「祖国」と「個人」とを常に密度高く通わせた心がないと発し得ない言葉だ、と記者には思われたのである。

戦後20年間の激烈な排日の時代を経て、朴前大統領により日韓国交の正常化がもたらされ、それからさらに20年が過ぎた。記者は14年前に一度、ソウルを訪れたことがあるが、当時、道行く人々の目が、何かトゲをもって突き刺さってくる感じがあった。しかし、今度は、同じように会話しながら歩いていても、道行く人々の目は和やかに柔らいでいた。日韓新時代が、確実に幕を開けたように思われた。

韓国の人々は「礼譲の国」の人々だから、遠来の客にこれぽっちも不快な思いをさせることは決してしないし、話さない。しかし、その礼譲に特に日本人は決して甘えてはならないというのが、記者が"猛勉強"して得た結論である。
改めて世界地図を拡げてみると、巨大な大陸の先に少し突き出した韓半島、その南半分が韓国である。いまさらいうまでもなく、それは常識的な「地理」だが、日本人は、そのわずかな面積の南半分以外の後背地すべてが共産主義国家だ、ということをいつも忘れている。勿論、知っているが、知っていて、なおかつ忘れている。いいかえたら、忘れていられるといえるかも知れない。
しかし、韓国の人々は、瞬時も忘れないし、忘れようがない。四方を海に囲まれた日本人が「わが祖国」を知っていて忘れていられる一方で、韓国の人々は瞬時も「わが祖国」を、「わが民族」を忘れようがないともいえる。

本紙では、今回の連載を通じて「日本は恵まれ過ぎか」のような表現を何度かした。過ぎているか、いないかは別として、あらゆる点で恵まれていることは確かである。そして、いまアメリカで、ヨーロッパで、アセアン諸国で、というより世界中で生じている"摩擦"のモトも、世界が日本を「恵まれ過ぎ」と見て、その代価を支払わせようとする形で生じているかのようにも一見みえる。

この段ボール産業においても、基盤となる資源的な要素にしても、原紙の問題、段ボール技術、またこの産業における機械設備の製造能力、技術開発力、いずれをとっても韓国にはないものばかりである。そして、それらはすべて近々戦後40年の歳月の中で築かれ、かつ大半はむしろ20年ぐらいの期間に築き上げられた。いいかえれば、われわれの目の前で作り上げられ、歴史の中にではなく、いま現に目の前で息づいている形である。
たとえば、古紙再生原紙に関する様々なノウハウなど、韓国の業界がいますぐにでも必要なものが沢山あろう。段ボール機械にしても、どうしても日本から購入せざるを得ない高度なものは別にして、国産でもすぐ充分間に合う、むしろその方がよいものが沢山あると、日本の機械メーカーたちは指摘している。
幸いにも、鉄鋼や造船、その他と違って、段ボール産業はブーメラン効果などとは無縁だし、段ボール企業間の競合ということも起り得ない。そういうもろもろの面で、恵まれた日本の段ボール関連産業界は、韓国の産業発展に役立ち得る立場にある。俗に「友だちが欲しかったら進んで自分の方から声をかけなさい」という。そして、これは日本と韓国の、これからのより良い関係を望む上で、そのどちら側にもあてはまる言葉のようにも思われた。

前回に『一番肝心な「心」の問題をヌキにしては、どんな経済談議も空しい』などと書いて、この連載を一回延長したものだから、記者の手にはとても負えない難題を自分で勝手に背負い込んだ形で呻吟した。いまどうやら書き終えて、ほっとしたところである。日韓両国の間柄の、今後ますます良好なことを願って、この稿を終りたい。(亘理昭)