特大


海外取材報告

豪州ヒンチンブルック島物語

足の裏に珊瑚礁の砂の感触

何より素晴らしかったのが砂浜です。日本の砂浜は珪石がベースで、砂の間に足裏が沈み込んで行きますが、ヒンチンブルックの砂浜は、たぶん珊瑚礁が細かい砂になったのだという感じで、硬く沈んでいて、何ともいえない快い足裏の感触でした。滞在中、何度も砂浜に出て歩きました。いつまでも歩き続けていたい良い気分でした。

こどものころ、北上川河口の港町、石巻市には全長何キロか、白砂青松の長浜という素晴らしい海浜がありました。だが、列島改造の流れの中で、そこに漁港が建設され、いまは、コンクリートの岸壁に変わっています。狭い国土の日本が経済成長の果てに失った自然が、国土は20倍か30倍、人口約2千万人のオーストラリアでは、全く手つかずの自然がそのまま残っているイメージが痛切でした。

しかも、プラスチックごみ一つ浮いていないし、砂浜に海藻の切れ端もない。砂を掘ると、まるで宝石のように輝く小さな貝殻が幾らでも出てくる。その宝石の輝きも珊瑚の硬い砂で磨き抜かれたためでしょう。オーストラリアは、9月からが春。これからが本格的な夏のシーズンです。

ジェンマ・ブラウンさん
ジェンマ・ブラウンさん

足跡
足跡

「段ボール事報」を世界中での"実感"
オーストラリア人家族の13才と11才の兄弟と、こちらの8才、6才とが、出会った翌日から、たちまち仲良しになりました。
彼らはメインロッジ2階で「UNO」に熱中しています。その奥に事務室があって、そこに置かれたパソコンで本紙のWebにアクセスしてみたら、すぐ立ち上がりました。インターネットは世界中どこでもアクセスできることが常識ですが、本紙のWebをヒンチンブルックでも読めると確認したことは、主催者として感慨深い出来事でした。

プリントアウトしたものを、ジェンマ・ブラウンさんに手に持ってもらって撮影したのが上の写真です。ということで、英語バージョンを早く何とか進めければということが、帰国後の宿題にもなりました。

ヒンチンブルックは熱帯地方ですから、当然、あちらこちらに椰子の木がそびえていて、1本に30個ほどの実を付けていました。
椰子の木を前にすると、なぜか「名も知らぬ遠き島より」の歌を口ずさむことになります。詩情というのでしょうか、島崎藤村の詩の心を、しみじみ感じさせられたひとときでした。

ふと気が付いて後ろを振り返ると、誰のでもない、自分の足あとが砂浜にずっとつづいていました。カメラを構えて、その足あとをファインダーからのぞいていると、この世のあらゆるテンションから解き放たれた自分を、もうひとりの自分が喜んで見ているような気がしました。

日本では、あのように自然そのものの中にすっぽりおさまって、安らかで、居心地のいい環境にひたることが難しいような気がします。日本は、それだけ自然が薄くなって、代わりに人工的な部分が増えて、だから疲れ、ストレスを感じることが多くなっているのではないでしょうか。帰ってから、ずっとそのことを考えているのですが、家内も同じようで、毎晩、ヒンチンブルック・アイランドの夢を見るのだそうです。遠いけれども、何度でもまた行きたくなる世界でした。

食事のメニューは毎日変わります。3日目のランチメニューと4日目のディナーメニューを1枚ずつもらって帰りました。オーストラリアだから、オージービーフがメインだろうと思っていたら、飛んでもない。ビーフは一度だけ。
食材は、アトランチックサーモンは普通として、カンガルー、ワラビー(小さなカンガルー)、クロコダイル(ワニ)、北部地方のバッファローなどが普通のように並んでいます。ワイルドなのです。われわれは結局、ワラビーを除いて全部、カンガルー・ジャーキーも、バッファロー・ステーキも、クロコダイルも、全部食べました。料理はみんな美味しかったのです。

料理人は一人。ゲストがいつも20〜30人ですから、いつも30分は待ちます。それでも日本と違って、みんなゆったり待っています。ホステス(女主人)は最初の説明役の「オーカイ」さんとブラウンさんの二人でしたが、帰る間際に、新しいブロンド美人がオーカイさんと交替したので、2週勤務で1週休暇のシフトのようでした。身分は国立公園職員なのでしょうか。使命感が強くて、サービス精神が旺盛、少数精鋭が徹底していて、きびきびと、よく働く人たちでした。

いろいろなリゾート・メニューがあります。フェリーでの島内1日ツアーをはじめ、ラムゼイベイを起点に、キャンプ道具を担いで3〜4日かけて島内巡りをするのもオーストラリアの若者たちに人気でした。私たちがマングローブ林に挟まれた水路を通ってラムゼイベイの素晴らしい砂浜を楽しんでいたときも、若者たちの幾つかのグループが大きな荷を背に「コンニチワ」とニコニコ手を振りながら、そのウォーキングに向かうのに出会いました。

ヒンチンブルックに4泊して、21日からケアンズに2泊、日本時間23日11時5分発のカンタス・JAL共同運行便で午後6時過ぎ成田に帰着しました。ケアンズ空港で出国手続きをしていると、左手のカウンターに見覚えのある髪型の女性がおりました。なんと、ミス・オーカイさんでした。
「どこへ」と聞くと「パプア・ニューギニアのチャーチ市」ということで、同年輩ぐらいの友だち数人と一緒の休暇旅行のようでした。天気にも恵まれたし、最後は再会のハプニングもあった大満足の旅でした。

ケアンズは、ヒンチンブルックとは正反対の世界。町も空港も日本人観光客で溢れていました。あの大群集がヒンチンブルックに押し掛けて行く心配はないはずと、自分に言い聞かせながらの帰路でありました。

旅の費用は、子どもも含む6人の一人当たりで20万円余り。うちJAL正規割引運賃+空港税などの合計が全部で約59万円。すべてほぼ彼の予算通りでした。

※ヒンチンブルックリゾート http://www.hinchinbrookresort.com.au/
2006年(平成18年) 第964号 5面