特大


業界動向

2007-05-30 松下電工を主納入先に創業70余年の(株)朝日紙業

朝岡忠雄先代社長

朝岡忠雄先代社長

朝岡力社長

朝岡力社長

5月22日、(株)ユーパック訪問の後、JR亀山駅から加茂駅の大和路快速大阪行きで、午後の約束の(株)朝日紙業放出工場に向かった。結局、天王寺から環状線経由でぐるっと大回りした感じで、約束の時間にすっかり遅れてしまったが、笠置山とか楢山、平城山とか子どものころから聞き覚えのある地名の、かつ風光明媚な大和路の列車の旅を楽しむことが出来た。

約束の時間にすっかり遅れてしまったため、朝岡力社長が工場前まで案内に出てくださっていて、路上での初のご挨拶になってしまった。すぐそのまま、(株)朝日紙業放出工場の1階から2階、向こうの棟の1階から2階と、道路から道路まで1区画丸ごとのスペースをぐるぐる見て回って、大阪の街のど真ん中にドンと構えて何十年の歴史と由緒を刻み込んだ工場の、繁忙そのものの空気をたっぷり吸い込んだ。

同社のメインの得意先は松下電工。工場2階部分には、いつでも松下電工の注文に応じる体制で段ボールケースの在庫が細かく整頓されて積まれており、超繁忙な電器メーカーの兵站部門の超繁忙を、そのまま画に描いた印象であった。応接室に入ると、懐かしい先代朝岡忠雄社長の写真が掲げてあった。

私が先代社長に初めてお会いしたのは昭和36年。前の新聞を35年10月に立ち上げて、すぐ翌年2月に購読していただいた記録が、当時の古いノートに記号でしるされて残っている。昭和37年から私は東京に戻ったが、10年後の昭和48年の第一次石油危機で段ボール原紙・段ボールシート価格が急騰した際、全国のボックスメーカー間に製函業専業者団体の結成気運が巻き起こり、その際、大阪代表に先代朝岡社長とご親友の東洋紙器塚本社長(当時・東区南久宝寺町)ほか、関東からは設楽悦三新光紙器社長ほかの方々が箱根に集まって、通産省に製函業専門団体結成の陳情をするなどの活動を展開した。

そのとき、大阪当時のご縁で私も世話役に走り回ったわけだが、結局、通産省の「帰属通達」で、段ボールシートは段ボール工業組合、段ボール箱は紙器工業組合に帰属するという裁定が出て、紙器組合加入を潔しとしない関東グループは関東CBAを結成、中部・関西グループは団体スタイルで紙器工組に加入という経緯を辿ることになった。

私ごとを申し上げるばかりで大変恐縮だが、昭和51年に「段ボール事報」を創刊したとき、朝岡さん、塚本さん、設楽さんほか、帰属通達で無念の思いを呑んだ方々が、みな真っ先に、出来立てほやほやの本紙の読者になって下さった。いまでも、その嬉しかった思いがつづいているわけである。そういうことで、朝岡忠雄先代社長の肖像写真を本紙に飾ることもでき、何よりと喜んでいる次第。朝岡力社長は、32才のとき、先代に社長になれと命じられたとのこと。こんど初めてうかがったことで、実は私と同年の昭和5年4月20日生まれ、喜寿ということも初めて知った。

これまた私事だが、本紙創刊以来の最初の15年間は広告量の増加でどんどんページ数が増えるのに編集が追い付かず、取材訪問もままならなかったが、逆にその後の15年余りは、ページ数が減って余裕は出来たのに、業界では「何も話すことがないから来てくれるな」という絶不調状態。更に本紙は、その後のインターネットの立ち上げもあって、最近ようやく新聞本来の取材活動も始められるかという段になっている。ということで、これから全国行脚の訪問取材記事を新聞とWebの双方に掲載して行くことにしている。

朝岡力社長は関西地区ボックス業界の最古参。いまは既に、それぞれ松下電工と千代田紙業で修行を積んだ二人の令息が会社の実務を采配していて、いわば楽隠居もできるご身分だが、しかしご当人は、「こんな厳しい時代に、苦労を息子にばかり押し付けるわけには行かない」と、「まだまだ当分は現役」というのが開口一番の宣言だった。段ボールは受注産業。まず、そのあたりからお話をうかがった。

<問>昨年4月に段ボール原紙の値上げが100%浸透して、同時に段ボールシートの価格もほとんど100%の浸透状況かと思いますが、その反面、ケースの価格が上がらず、段ボール会社もボックスメーカーも同じようにケースの価格問題で悩んでいますが。

<朝岡>段ボールは受注産業だから、出来上がってから売れる製品ではない。まず第一に、この受注産業というところから、あらゆる問題が出てくる。注文をもらわなければ機械は動かない。だから、その商いの過程の中で、価格がまず前に出てくる。つまり注文を取るためには、お客がいいという価格であることが一番の問題だから、会社が大きい、小さいに関係なく、段ボールの価格問題は難しい問題だし、細心の気配りが必要です。

<問>業界の構造変化という問題もあります。段ボール業界のシェアでいえば、レンゴー、王子で半分ということですが。

<朝岡>原紙が上がった以上、段ボールを上げなければならないは当然だが、全国的なナショナルユーザーというものがあって、レンゴー、王子がそれに対してどう対応しているか、それがやはり一番の根幹のところにある問題だと思う。例えば、水などのナショナルユーザーの箱の価格を上げなければ、他の分野でも、末端のわれわれがどう力んでも、どうにもならないことで、そういう基盤のところが、ほとんど前進していないということが、やはり問題だと思うんです。

それと、日本国内から中国などに工場が移転してしまったことが痛手です。うちの場合、生駒工場を閉鎖しましたが、それはお客さんがみんな中国に行ってしまったからなんです。お客さんからいただいているパイが半分になっています。というのも、小口の高級商品は日本で作る。そして、安いけど、量のあるものは全部中国へ持って行くということですから、段ボールの量としては半分になってしまうのは当然です。

ところが、ユーザーさん自体が大変な競争を戦っているんです。ボーダーレス社会で企業が生き残るためにはどうするかということですから、従来のやり方を全部破壊し、改革する。それがうまく行けば、再生できるというような時代ですし、しかも、それを急いでやらなければならない。業種は違っても、ユーザーさんは、それぞれみな同じような競争を抱えているわけで、そういう大競争時代の中に、われわれの段ボールもあるわけです。

われわれが、直接お世話になっているのは、日本全国の中でも、この大阪、近畿の市場ですが、特に製造業の事業所が空洞化する一時期がありました。段ボールの関係でも、段ボールは段ボールで統合が進み、製紙は製紙で統合が進んだわけですが、そうしなかったら日本の大企業も生き残れなかっただろうとということがあるわけで、あの新日鐵でさえ、いつなんどき買収されるか分からんという時代ですから、結局、段ボールの価格の問題も、そういう時代背景の中で解決をはかって行く以外にないことでしょう。率直に言って、われわれの紙の業界のトップの会社といえども、株価が700円を切っているんです。そういう現実もあります。

<問>朝岡社長はこの業界最古参ということですが。

<朝岡>昔からやっているのは、もう水谷さん(パック・ミズタニ水谷博会長)と私だけです。水谷さんの方が、私より少し年上ですが、ほんとうに昔の人がみんな、いなくなりました。われわれの工業組合の本部の全工連も、本来は本部が東京なんですが、東京は分裂して、前の本部と離れた事務所にいます。東京は政治経済の中心だし、われわれの工業組合といえども、東京が中心であるべきなんだけれども、そんなことから、いまは岐阜が全工連の本部の形になっています。だから、これから先、どうなって行くのか、われわれは大中小の、小のグループの会という形で、今日までやってきているわけだけれど、そういう業界の組織の問題もあります。

昔の紙器組合は印刷箱、貼箱グループだったのを、ウチのおやじが段ボールグループを全部集めて近段協として入って、勝田さんを理事長に最初の工業組合を立ち上げたわけですが、巡り合わせなのか、私も、昨年8月まで大阪紙器会館の社長をしていました。それで、もう耳が遠いし年だからと、去年までで一切断わって、組合の方も、ウチの次男坊をメンバーに出しています。何かあったら出ますけど、まあ、わたしと水谷さんが相談役になっていますから。

<問>ところで、いまの段ボール業界は、一番肝心なところが解決しないということで、辛抱・我慢がつづいているわけですが、その辺を、ボックスメーカーの立場から、どう見ておられますか。

<朝岡>以前に、公取さんに何度も叱られた前歴があるわけだから、段ボール業界としても、価格の問題はどうしても少し腰が引けるところがあるんじゃないでしょうか。ただ、物づくりには、必ずコストというものが付いて回るわけで、当然、値段の問題、それに時期と、方法はどうかということがあるわけです。といっても、末端のわれわれが何をどうするということも出来るわけではないですから、末端のわれわれが動けるような値上げのムードづくりを上の方にしてもらえなかったら、何もできないのが現実です。

もうずっと以前に、私が大阪の代表に推されて、中央の会合に出たことがありました。そのときの話は、原紙は上げる、次にシートだけ先に上げるという話でした。飛んでもない、そんな話、大阪に持って帰ってみんなに言えることじゃないと、まあ、ケンカになったことがありましたが、こんども、シートは先に上がった、ケースは上げていないわけで、昔と何も変わらんなということです。